川上より川下が攻める側
たとえば、繊維産業は斜陽産業か、ときかれたら、たいていの人は、ハイ、斜陽産業です、と答えるだろう。では繊維産業は攻める側ですかそれとも攻められる側ですか、ときかれたら、即答はできないであろう。なぜならば、いくら繊維が過剰生産になっても繊維が不要になるということは考えられないし、同じ繊維産業の中でも金の儲かる部門と金の儲からない部門があり、攻める立場の企業と攻めおとされる企業の違いがあるからである。また攻める側にも攻められる側にも、生き残るための商法とでもいうものがあるからである。
一□に繊維といっても、守備範囲は広い。素材もいろいろだし、素材から布地にいたるまでの加工過程もたくさんある。今の言葉でいえば、この部分は繊維産業の川上の部分にあたる。
ついで布地を加工してワイシャツや服や靴下をつくり、さらにこれを卸したり、小売販売をしたりする部分がある。この部分は川下産業と呼ばれている。
一般的にいって、物の不足する時代は川上に君臨している者の発言が強く、いわゆるガチャマン時代は東レや帝人や日清紡や東洋紡の黄金時代であった。生産設備が充実し、需要をオーバーするだけの生産能力ができると、商品が市場にダブつくようになるから、川上の商売は金が儲からなくなり、それにつれて川下で売れ筋商品をつくる能力をもった加工メーカーが幅をきかせるようになる。
いくら金が儲かるようになったといっても、川下のメーカーではせいぜいレナウンや樫山がトップで、そのスケールは川上メーカーに及ぶべくもないが、小さいながらも利益率の高い企業が続々現われると、同じ一連の業種の中でもっとも「おいしい部分」が、時代とともに移り変わるものだということに、いやでも気がつかざるを得ない。
たとえば、一枚五〇〇〇円のワイシャツをデパートで売っている。小売屋であるデパートは六〇%の価格で仕入れるから四〇%の儲けがある。ワイシャツの問屋、もしくはメーカーは、だいたい四〇%で仕入れて六〇%で納入しているから、儲けは二〇%である。
この場合のメーカーとは企画をして発注をする人のことであって、必ずしも自分で工場を持っているとは限らない。むしろそういうメーカーは自分で工場を持たず、下請けに発注をするのがふつうである。下請けは四〇%で納入をするが、切地、副資材、工賃をさし引いたら、一〇%も儲からないであろう。なぜならば、工場を維持して行くために不本意な安値受注もしなければならないし、注文がないために工員を遊ばせるようなこともあり得るからである。
切地を提供する布地屋には、また問屋もあればメーカーもあり、さらにさかのぼって行くと染屋もあれば撚糸屋もあり、原料になる糸をつむぐ紡績メーカーまで辿りつく。五〇〇〇円のワイシャツに使う糸代はたったの一〇〇円ということになるから、一〇〇円が全部儲けだとしても、五〇〇〇円のなかの二%にすぎず、よほどの量でもなければとても儲けにならない。
川上に君臨した大メーカーが糸の生産からはじまって、さかんに川下にまで進出し、自社のラベルを貼ったワイシャツを売りたがるのは、最終消費者に接する小売りの部分はともかくとして、上代の六〇%のところまでを何とか支配して、その利益にありつきたいからである。
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