転業は足元の明るいうちに
では仕事をどこであきらめればよいのだろうか。さきにふれたように、人間には誰でも「コケの一念」というものがあり、またそれを尊しとする気風があるから、「頑張れるだけ頑張ってみよう」と自分にいいきかせてみる。何十年も同じ事業になれてきたという習慣的なものもあり、この年齢になって慣れない事業に移る不安もかくしきれない。だから、「コケの一念」がうまい言い訳になる面もないとはいえないのである。
私の場合は、たまたま一つの仕事をある程度成功させると、それを大成させるよりももう一度、新しい仕事を手がけようというやり方に慣れてきたので、職業を変えることに何の抵抗もないし、ほとんど不安も感じない。株をやる人の金言に「見切り千両」というのがあるが、駄目と思ったことは見切ることが大切だし、それを仕損なうことによって深い傷を負うことにむしろ不安を感ずる。
どうしてかというと、万一、不渡りを出して倒産をしたら、友達にも見離されるし、少なくとも二年間くらいは後ろ向きの対策に追われて、新しい仕事には一切手がつけられなくなるからである。そういう目にあわされるくらいなら、黄信号になったところで目を光らせ、どうせ行きつく先がわかっているならこの際、出血はこのへんで止めようと潔い解決を選ぶべきだと思うのである。
損を覚悟で仕事を中断することは、新しい仕事をはじめるために家を担保に入れるよりも、勇気の要ることである。私は何回も何回もそれをやったので、今では慣れてあまり気にならなくなった。ちょうど離婚慣れした男が、「じゃ、さよならしよう。慰謝料はいくらにしようか」というようなもので、いささかすれっからしの趣がないではないが、それでも店をしまうときは、やはり同じように胸が痛む。自分がこれと思ってはじめた仕事は可愛いし、自分の思い違いを認めることは本当に辛いことだからである。
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