11. ハダカになれば再起が早い 
                     
                    屈折の多い成功への道 
                     
                    成功者といわれている人たちの中で、最初から一つの仕事に取り組んで、それで成功した人は滅多にいない。たいていは、いろんなことをやって失敗してはほかの仕事に手を出し、何度か試行錯誤をくり返した上で、やっと「天職」ともいうべき仕事にぶつかっている。 
                    たとえば、私の知っている人で製薬会社をやって財をなした人がいるが、「前にどんなことをやりましたか?」ときいたら、「貝殻を丸い粒にひいてそれに真珠の粉をまぶして模造真珠をつくったこともあります」「また水の上を走る自転車はないものかと考えて、ペダルを漕ぐ水上自転車をつくって売ったこともあります」という返事がかえってきた。製薬とは何の関係もない仕事だが、この人は一貫して発明工夫で金儲けをしようとする傾向を持っていたことがうかがえる。 
                    また、地方都市でスーパー・マーケットをやって成功した人がいる。大型スーパーの攻勢が激しく、どうにも対処しかねて私のところへ相談に見えたので、私は、「県庁所在地にある競争劇甚な店は相手に引き渡して、自分の店は寒村僻地に逃げこんだらどうですか」と提案した。寒村僻地といっても、本当の山奥ではなくて、人□一〇万以下で大型スーパーが攻めこんできても、とうてい採算にのらないであろうような小都市のことである。県庁所在地だと、安売り競争で売上げの割りに利益率が低下する一方だが、小都市では他に競争店がないから、荒利率二〇%を維持することができたのである。 
                    しかし、私の提案をきくと、そのスーパーの社長は当惑をあらわにして、 
                    「センセー、そりゃ私が自分の事業を売るといえば、一〇億円くらいのお金は拝めると思いますよ。でもスーパーのオーナーだからこそ商工会議所や法人会で顔役になれるんで、もし私がスーパーを手離したら、私の社会的地位がなくなってしまいます」 
                    「またほかの新しい商売をさがせばよろしいでしょう」 
                    「そうおっしゃいますけれど、地方でこれはという新しい商売はなかなかありませんよ。私はこれまでに材木屋もやったし、木造船もつくったし、パチンコ屋もひらきましたが、どれもこれもうまく行かず、やっとスーパーで目鼻がついたのですから」 |