以上の話からもわかるように、成功に至る道は決して一本道ではなく、凸凹で屈折の多い道なのである。しかも、時には無経験のために暗礁に乗り上げることがあるから、不渡りを出して倒産することもある。
いま経済界の第一線で活躍している実業家のなかにも、過去、倒産したり債鬼に追いまわされた経験を持った人がいる。そういう人を見る限りでは、「倒産は恥なことではあるが、まったく人間を再起不能におとし入れるものではない」ということがわかる。問題は何歳くらいのときにそういう不祥事を起こしたか、また何回もそういうことをくり返したかどうか、というところにあるようである。
俗に「若気の至り」というコトバもあるように、経験の浅い頃の間違いは大目に見られる。
もっとも、どこまでを「若気」とするかということになると、単純に年齢だけできめるわけにはいかない。二十代で仕事をはじめる人もあれば、四十代になってから独立する人もある。年齢の如何にかかわらず、初めて出す不渡りは、「若気の至り」といっても必ずしも誤りではないが、やはり三十代と五十代では世間の受け取り方が違う。三十代だと、「あいつはまだ若いのだから、立ち直るチャンスもあろう」と寛大に扱われるが、五十代になると、「もうあいつは再起不能だ」と見離されてしまう。
さらに何年かたって、二回、三回と失敗をくり返すようになると、欠陥人間として誰からも相手にされなくなってしまう。
いつだったか、私の妹が台湾へやってきて、自分の技術でケミカル・シューズをつくっている日本人が台湾人のパートナーにだまされて難儀しているから、資金援助してやりたいがどうだろうか、と相談をもちかけてきた。いろいろきいてみると、パートナーを変えたのも一回だけでなく、二回も三回も変わっていることがわかった。私は妹に、
「一回だけなら運が悪かったとか、経験がなかったとかいうことができるが、何回も失敗しているとなると、そういう人はどこかに欠点があるから、やめておいたほうがいいよ」
とアドバイスをした。妹は私の忠告を容れて出資を断念したが、妹に話を持ち込んだ日本人の駐在員は、有り金をはたいて共同出資者になった。金を出してはじめてわかったことだが、本人は昼間から酒ばかり飲んでいて、工場にいるときもウイスキーの瓶を手から離さないほどの大酒飲みだったそうである。とうとう大喧嘩になって会社は再び倒産し、出資したお金は一文も返ってこなかった。
「やっぱり、しょっちゅう失敗する人はどこかに欠陥があるんですね」
と妹が私に報告をしたが、こういう種類の人間に私はこれまでに何回か出あったことがある。どんなにすぐれた才能を持った人でも、企業家としての致命的な欠陥を持っていると、やっぱり失敗に終わってしまうのである。
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