第120回
持つべきはPR上手の弟子ですね

孔子廟のある山東省の曲阜という町に
行ったことがありますか。
漢学とか儒教に関心のある人なら、
誰でも一ぺんは行ってみたいと思うでしょう。
私は40何年も前に
「東洋の思想家たち」という本を書いて、
その中で孔子の人となりを論じたことがあるので、
わざわざスケジュールを組んで、
済南市から泰山を経由して、
曲阜の闕里賓館というホテルに1泊したことがあります。

儒教の総本山だけあって、孔子廟は壮大な建物で、
文化大革命の時も庭園内の石碑がいくつか、
傷つけられただけで、
全面破壊は免れましたが、
孔子の子孫が代々そこに住みついて、
祖先の七光りでメシが食えているのには
いささかびっくりしました。

「家柄に惚れるな。
家柄がいいということは、
じゃが芋と同じように、
一族の中で最も値打ちのある部分が
地下に眠っているということだ」
という戒めがありますが、
それは孔子の一族にもあてはまるようです。

孔子は魯の国で生まれ、
役人としては魯の哀公に仕えて、
司冦(いまでいえば法務大臣)を勤めただけで、
あまりパッとした存在ではありませんでした。
退職してから各国をまわり、
就職運動を続けたけれど、思いがかなわず、
年をとってから塾をひらいて
後進の教育に専念するようになったのですから、
慶応義塾を創立した福沢諭吉の大先輩と思ったら
わかりやすいでしょう。

その教えが歴代の君主に受け入れられ、
2千年以上も国教として命脈と保ったのは、
既成秩序を是認する
体制派の思想だったこともありますが、
数多い孔子の弟子の中に子貢という世渡りの名人がいて、
自分の恩師のPRに熱心だったことが
大きく影響しています。

子貢は諸国の王偉貴族と
対等のつきあいのできる立場にあって、
会う度に自分の先生の宣伝をして、
「うちの師匠はこんなに偉い人だった」
と盛んに売りこんだのです。
生きている時には間に合いませんでしたが、
死んでからあと、とても役に立っています。
もしかしたら持つべきはPR上手の弟子かも知れませんね。


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