第241回
歌を忘れたカナリアは?

「上を向いて歩こう」や「スバル」が
世界的に大流行するずっと前から、
私はいまに日本の歌謡曲が世界中で
唄われるようになるだろうと思っていました。
日本の演歌がよく唄われる
台湾に育ったせいもありますが、
中国人は歌謡曲の中で
テンポの遅い演歌調が大好きなんですね。
メロディにはコトバのような障害がありませんから、
国境の壁なんかいとも簡単に乗りこえてしまうんです。

うちのコックが台湾から
自分の家族を呼びよせたことがあります。
コックのつれあいが生まれて初めて日本へやってきて、
うちのテレビで千昌夫が
「北国の春」を歌っているのをきいて、
「あら、台湾の歌を唄っているわ」
と驚いているのを見てこちらが驚いてしまいました。
ついこの間も揚子江の水源地の
九寨溝(ちゅうさいこう)というところに行って、
夜泊ったホテルで少数民族の舞踊を見ていたら
民族衣裳を着た男の歌手が出て来て
「北国の春」を唄っていました。

日本のインテリの中には
美空ひばりや都はるみをバカにする人がいますが、
ウルムチやケープタウンに行って日本の演歌をきくと
思わず口吟んでしまう日本人は少なくはないでしょう。
「題名のない音楽会」もたまにはいいでしょうが、
音楽ほどその土地の環境と、そして、
唄う人の年齢を反映するものはありません。

人間の耳というのは、
その人の青春時代に入ってきたメロディで
すぐフルハウスになってしまうと見えて、
その後どんな素晴らしい新しいメロディが大流行しても
受けつけなくなってしまうもんなんですね。
ですから、人の唄う歌をきいたら、
その人の年齢がわかってしまうと言われていますが、
いつになっても「懐かしのメロディ」が滅びないのは
それなりの理由があるのです。

それはそれでいいのですが、
大ヒットのCDがいくらでもあるというのに、
どうしてみんなが唄える歌が
なくなってしまったのでしょうね。
「歌も世につれ」というけれど、
作曲家の先生よ、みんなで唄える歌をつくって下さいよ。


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