第354回
北京で私に会いに来た中国人の青年

昨2000年の10月、北京の東直門の大通りに
「永漢日語」という日本語学校を開設しました。
1階にピザハットのあるレストランビルの2階にあって、
経営不振で閉店したナイトクラブのあとを借りました。
学校をやると言ったら
学校なら校舎の空いている時間を借りなさいよ、
こんなところの高い家賃が払えるわけがないと
追っ払われた逸話もありました。

中国の補習学校や塾は
冷暖房もない見すぼらしい環境にあって、
冬は外套を着たまま授業を受けるのが常識とされています。
大通りに面した高級ビルの暖房のきいた教室で
勉強ができるなんて
首都の北京といえども人々の意表をつくことなんですね。

ふだんは街路樹に覆われて
看板もよく見えないところですが、
冬になって枯葉がすっかり落ちてしまうと、
自動車の中からでも、
「あいうえおから日本留学まで」という
「永漢日語」の看板がよく見えるようになりました。
それを見て、入学の申し込みに来る人も少くありませんが、
或る日、私宛の手紙を届けに来た人がおりました。
そのFAXが東京にいた私のもとに送られてきました。

読んでみると、
自分はバークレイの大学を卒業した中国人で、
邱先生の著作は中文のものはほとんど読んでいます。
なかでも「中国人の思想構造」という本には感銘を受け、
もしこの本を英訳してアメリカ人に読んでもらえば、
中国人のことをよく理解してもらえると信じています。
またこの本を中国のトップの座にいる人たちに
読んでもらえば、
中国経済の発展はもっと加速されるでしょう。
英訳については
私がお手伝いさせていただければと思っています。
1月の末まで北京におりますので、
もしお声をかけていただければ、
いつでもおうかがい致しますと
電話番号も記してありました。

文面から見て、私は40才前後の人を想像していましたが、
北京に行った折りに本人に来てもらったら、
何と22才の若い青年でした。
しかしそれ以上にびっくりしたことが
あとに起ってきました。


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2001年2月27日(火)

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