第446回
豊作貧乏はライバルが倒れるまで続く

日本の工業製品の豊作貧乏が日本国中からはじまったのも
決して偶発的なことではありません。
日本は世界中に工業製品を輸出して外貨を稼いでいるので、
国際市場が日本経済の生命線のように思われがちですが、
日本の工業製品は海外市場を
あてこんで開発されたものではありません。

ミシンやカメラのような小型の精密工業製品は
外国から占領下の日本に乗り込んできたバイヤーたちに
すすめられるままに
見様見真似で生産をはじめたものですが、
それだって外国に負けないだけのものが
できるようになると、
国内で先ず大量に捌けるようになりました。
やがて家電ブームになって、テレビや電気洗濯機や冷蔵庫が
大量につくられるようになったのも、
国内需要がグングン伸びたからです。
いまでこそメイド・イン・ジャパンは
世界中の消費者から高い評価を受けていますが、
初期の頃はしょっちゅう壊れる欠陥の多い商品でした。
国内至るところに
修理のためのサービス・ステーションがあり、
壊れると持ち込むようになっていました。
私に言わせると、日本の工業製品には
人口一億人の消費練兵場があって、
そこで鍛えてから世界中に売り込む形になっていたのです。

当然のことながら、日本の工業製品の最大の顧客は
日本国内の消費者です。
現にこれだけ日本の輸出が
大きな貿易黒字をもたらすようになっても、
日本の輸出が日本のGDPに占める比率は
10%から12%ていどのものにすぎません。
ですから、日本製品が一番たくさん売れるのも
日本国内なら、
それが真先に飽和点に達するところがあるとすれば、
それも日本国内です。

バブルの崩壊を契機として日本にもたらされた経済現象は
工業製品の豊作貧乏です。
農業なら天候に左右されますから
1年か2年で終わりですが、
工業による豊作はいくらでも続きますから、
豊作貧乏は競争相手が倒れるまで続きます。
とんでもないところに私たちは落ち込んでしまったのです。


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2001年5月30日(水)

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