第531回
台湾大創に賭けた人たちのこと

日本の後を追って、台湾も空前の不況に突入しています。
株価は昨年の高値の半分以下、
不動産は値下がりしたばかりでなく、
ほとんど取引が途絶えてしまいました。
そのあぶりを食って、銀行に大量の不良債権が発生し、
不渡りの波が全島を覆っています。

そういう時に、
100円ショップ・ダイソーを台湾に誘致したのは、
デフレと構造変化で節約ムードがみなぎっている時ほど
お客の入りがよくなるのがダイソーだと思ったからです。
台湾の人は日本の動きを注意深く観察していますから、
日本に行くとダイソーでお土産を買って帰る人も多く、
「これなら台湾でも商売になるだろう」
と考えて、わざわざ広島のダイソーまで出かけて行って
「台湾で店をひらかせてくれませんか」
と申し込んだ人が50もあったそうです。

台湾のことなら私の方がよく知っているので
共同で台湾大創をつくることになり、
やっと郊外店と都心部店と
各一店オープンするところまでこぎつけました。
ここまでは日本企業の海外進出ですから、
そんなに珍しいことではありませんが、
新しい海外進出に際して
私が工夫をこらしたことがいくつかあります。

先ず、ダイソーはお金と商品を出したけれど、
人は1人も出していません。
それだけ信用されるとこちらも責任は重いのですが、
副総経理(副社長)に台湾の私の部下を
1人出向させただけで、
あとは総経理も主要幹部もみな日本人です。
総経理には
上海八百半の総経理をしていた人になってもらいましたが、
それは私が懇意にしていたこともありますが、
大陸ではたそうとしてはたせなかった夢を
実現させてあげたいと思ったからです。

もう1つは、「もしもしQさん」で
私の秘書を希望して応募した青年たちの中から2人、
本人たちの意志を確かめた上で、
言葉も通じない、知人もいない台湾で
一から出発してもらうことにしたことです。
給料も台湾のスタッフ並みですから、
よほどの覚悟がないと思い切れないことです。


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2001年8月23日(木)

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