第709回
創業型の人間は海外でも通用します

バンコクには日本人は3万人ほど住んでいます。
アユタヤのような工業団地で勤めている日本人でも
ほとんどがバンコクに住んで車で1時間、
高速道路を走って通勤しています。
子供の教育のためには
日本人学校があるところでないと都合が悪いし、
タイの田舎ときたら何もないので、
奥さんたちの買物や友達づきあいのためにも、
どうしてもバンコクということになってしまうのです。

日本の自動車や家電製品のマーケットも
世界中に拡がってしまいましたから、
海外工場は完成品を日本に輸出する場合もあるし、
他の国にある完成品工場に
パーツの輸出をする場合もあるし、
むろん、現地に商品を供給する場合もあります。
日本人は主として生産に従事していますから、
現地で販売をするとなれば
やはり現地人の販売会社を代理店にする以外に
方法はありません。
そうしたメーカーで働いている日本人は
現地の社長をはじめ原則としてサラリーマンですが、
それとは別にそれぞれの土地に流れ込んで来て、
流通業やサービス業に従事している日本人がおります。
一番多いのは日本料理屋をひらくことですが、
バンコクで私の知っている人の中には
自分で化粧品メーカーを興した人もあれば、
バンコクで宝石屋をやっていたのが100円ショップ大創に
アクセサリーを大量につくって
納品するようになった人もあれば、
また現地の人を相手に焼肉屋をひらいて
80坪ものチェーン・レストランにまで
仕上げた人もあります。

サラリーマンとして
進出企業のスタッフとして赴任してきた人たちは
3年か5年たったら本社に転勤になったりして
国へ帰ってしまいます。
しかし、海外に出て来て、誰にも助けてもらわずに、
荒波の中を乗りこえてきた人たちは、
粒は小さくとも揉みに揉まれていますから、
さまざまのピンチに出会ってもちゃんと生き残っています。
私はそういう人たちとつきあっていますが、
みな筋金入りで元気がいいですね。


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2002年2月17日(日)

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