第802回
株の儲けでビルを建てたこともあります

佐藤工業はトンネル工事を得意とする建設会社ですが、
バブル期にあまり手を拡げすぎて
巨額の借金を抱え込んだために、
とうとう支えきれなくなって
更生会社の仲間入りをしてしまいました。
色々と思い出があるので、とても残念に思っていますが、
バブルのあとに何が起るかを読み切れなかったのですから
やむを得ません。

自動車ブームが起れば、必ず道路の開発が必要になる。
道路工事がふえれば、
必ずトンネル屋と橋梁屋の商売が繁盛する。
日本でトンネル工事で1、2を争う企業はどこだと言って
探しあてたのが佐藤工業でした。
1株290円で当時の店頭株(いまの2部市場)に
上場したばかりの佐藤工業を買ったら
間もなく倍額増資になり、
290円に50円足して1株が2株になったので、
私の原価は1株当たり170円になりました。

それがたちまち350円に値上がりしたので、
倍ならいいだろうと言って全部売ってしまいました。
そうしたらあッという間に500円にはねあがったので、
どうしてだろうと首をかしげました。
たまたま週刊誌から
「会社拝見」という連載を頼まれていたので、
京橋にあった同社の東京支店に
当時の社長であった佐藤欣治さんに会いに行って
わけをきいたら、
「黒部ダムの工事が完成して
 それを一挙に決算に計上したので、
 今期は売上げも利益も倍加したんですよ」
と説明された。

ふつう一度売ってしまった株を
高値で買い戻す人はあまりいませんが、
私は500円で買い戻した上に
更に有り金をはたいて同社の株を買い増しました。
そうしたら何と1,300円にまではねあがったのです。
私はその株を売って
渋谷の東急本社の隣に小さな土地を買い、
地下1階地上4階のビルを建て、
このビルに「マネービル」という名をつけました。
これが東京で私が建てた1軒目のビルで、
そのビルを建てる元資は
佐藤工業の株がもたらしてくれたものでした。
それだけに佐藤工業の倒産はかえすがえすも残念と
いまなお心にわだかまっています。


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2002年5月21日(火)

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