第1298回
有名飲食店の寿命も30年です

家並みも知らないうちに変化していますが
私たちのお金の使い方は
もっと変わっています。
私の東京の住居は外へ出るとすぐ代官山の通りですが、
土曜、日曜は若い人たちで溢れるようになりました。

人が集まるようになると、
住居だったところも店になってしまいます。
私のように外国をわたり歩いている人間が
しばらくぶりに帰ってくると、
酒屋だったところが焼肉屋になっていたり、
八百屋だったところがギョウザ屋になったりしています。
商店街に生き残っていた店が
商売をコンビニにとられて、
空いたところを埋めるのは
先ず食べ物屋ときまっています。
日本国中が外食産業になってしまうのではないかと思うほど
飲食店がふえています。

ことしの春はSARSの関係で
珍しく東京に足止めをくらったので、
私は「実務手帖」の中の
「邱永漢のすすめるうまい店」を
思い切って再編することを思い出ちました。
もう10年も小さな手直ししかしなかったので、
飲食店には代がわりや栄枯盛哀の波が押し寄せているのです。
会社の寿命も30年と言われていますが、
同じことが飲食店にも言えます。

年をとると味覚も変わりますが、
時代によって人々の味覚にもハヤリスタリがあります。
うまくそれに対応できないと、
お店にもお客が寄りつかなくなってしまいます。
またお金の流れにも変化が起りますから、
会社のお金で接待する社用族ばかりあてにしていると、
リストラにあって社用族がなくなってしまいますから、
高級料亭や二次会に使われた銀座裏や
北の新地のクラブは
店じまいを余儀なくされていまいました。

私は社用族相手のお店は
ほとんど取りあげてきませんでしたが、
それでも料理が古くなったり、
お客のふところ具合に合わせることを知らないために
お客から敬遠されてしまった店もあります。
そういう店のリストを入れかえるためには
毎晩、ドクター・ストップのかかるほど
血糖値のあがる食べ歩きをしなければなりません。
食事の仲間を募集したのもそのせいでした。


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2003年9月29日(月)

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