第1300回
私の開拓した日本料理屋の名は?

新橋や赤坂にあった
芸者さんも呼べる高級料亭は
ほとんど姿を消してしまいましたが、
もう時代遅れになった政治家たちが
いまも通っている
これまた時代から取り残された待合が
僅かながら息をついています。
待合政治家がいなくなったら、
いずれ待合もなくなってしまうでしょうが・・・。

それでも日本を代表する
日本料理の最高峰に属する料亭が
僅かながら生き残っています。
天然記念物みたいな存在ですが、
その稀少性の故に、私は一旦、
私の「実務手帖」から消し去った老舗を
逆に今回は生き返らせました。
吉兆、招福樓は日本料理の二大水源地みたいなものですが、
京味とか和幸とか、若い人が行かなくなった、と言うよりも、
行きたくても行けない高価な店を再録したのは、
私も年をとって記念碑みたいな存在を
意識するようになったせいかも知れません。

高級日本料亭は京都を除いて大半が
勢いを失ってしまいましたが、
日本料理そのものが
姿を消してしまったわけではありません。
どこの料亭も代変わりをしたし、
お客の方も社長をやめて来られなくなったので、
これらの老舗で修行した板前たちは独立すると、
カウンターだけの小じんまりした店をひらくことになります。
そういう腕があって仕事熱心な職人の店は有名でもないし、
高いお金もとれないので、
つい見のがしてしまいがちですが、
しぜんに人が集まってきます。
いわば日本料理屋の掘り出し物みたいなものですが、
「日本料理の一流はカウンターにあり」と題して
中央公論にエッセイを書いたところです。

いまここに私の見つけたカウンターの店の名前をあげると、
いずれも小さな店ですから
皆さんが押しかけて私が入れなくなってしまいます。
「実務手帖」には書いてありますので、
10月末までもう少し待って下さい。
それまでに私があと何回か行って、
私が門前払いをくらうようになったら、
また新しい店を開拓することにします。
日本人がいる限り
日本料理屋がなくなってしまうことはありません。
違った形の日本料理屋に生まれ変わるだけのことです。


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2003年10月1日(水)

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