第1322回
故郷は遠くにいて思うものです

「国破れて山河有り」と昔の詩人はうたいました。
国が破れるとは
その国の王様が国を失うだけでなく、
人民も生活の本拠を失って奴隷にされたり、
貧しい生活を強いられたりしたからです。
でもいまはその国の支配者が特権を失うだけで、
人民が奴隷にされる心配はありません。
人民に抵抗されたら、
新しい支配者の方が手を焼くだけの話です。

鹿児島県の人も高知県の人も
自分の故郷の話をする時に、
懐しさをこめて昔話をすることはあっても、
敵慨心を持って隣接する県の悪口を言う人なんておりません。
もしそうだとしたら、
国境の壁が崩れて人々が自由に往き来する時代になったら、
自分たちが住んでちゃんとメシを食えているところが
自分たちの生きてるところで、
自分の生まれたところは生まれ故郷
ということになってしまいます。
誰にも生まれ故郷がありますが、
生まれ故郷は遠くにいて思うものであって、
そのために生命を賭けて
守るところではなくなってしまいます。

私の生まれた台湾は
たまたま日本の植民地になったり、
外来政権であった蒋介石の
国民政府の支配化におかれたりしたので、
人々は保身のために自分の思っていることを
そのまま表に出すことができませんでした。
そういう生き方を強いられたので、
私は国なんて早くなくなってしまって、
ふるさとだけある世界になればいいと願っていました。
国境をこえて人々が移民したり、
出稼ぎに行ったり、多国籍企業がふえると、
固定観念を持った人はやむを得ないとしても、
若い人の間に国を中心とした考え方は
次第にうすらぐようになりました。
もうあと50年か、100年したら、
日本は今の長州とか伊達とかいった感じに
なってしまうのではないでしょうか。
それぞれの土地の気風は
一朝一夕で決まらないものですが、
よその国の人を排撃するような人は
時代遅れになってしまう筈です。
「故郷は遠くにいて思うもの」
という形に一日も早くなるといいですね。


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2003年10月23日(木)

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