第1333回
どんな人たちがベンチャーに集まるのか

雲南に行ってコーヒー栽培の仕事をやりたい
と言って応募してきた青年の1人は
東京で働いていました。
本人を呼んで仕事の内容を説明し、
考えられる困難をあれこれあげて、
それに耐えられるか打診したところ、
さっさと職を辞して
アパートの荷物は山口県の両親のところに送り返して、
自分は下関から船で青島に渡りました。
雲南で仕事の采配をする責任者が
青島に住んでいるので、
先ず青島に行き、
その仕事の内容を見せてもらってから
一緒に昆明にとんだのです。
まだ会社もできておらず、
現場がどうなっているか見てもいないのに、
さっさと背水の陣をひいてしまったので、
途中から引き返えせなくなるのは、
本人よりも私の方です。

もう1人は昆明のゴルフ場で働いていた青年で、
「もしもしQさん」がはじまった頃から
私のホーム・ページの愛読者として
私に何度かEメールをくれていました。
一昨年、私が昆明に行くと書いたところ、
自分が案内しますと親切にEメールをくれましたが、
スケジュールの都合で連絡ができませんでした。
ことしの春、団体で昆明に行くことになったので、
予め連絡をとって色々と手配をしてもらいましたが、
今度は私が病気をして入院をし、
団長のいない投資視察団の面倒を見てもらいました。
本人が私に会ったのは、
2度目に入院をした病院に見舞いに来た時ですが、
もうその時はコーヒー園の仲間の1人に加わっていたようです。
もともと人に言われなくとも、
1人で雲南省にとんで行き、
土地の女性とわりない仲になって
昆明に居を構えているのですから、
現地採用の安月給でも、
何が何でも事業を物にしようという熱意に燃えているのです。

あともう1人はもう若いとは言えない女性ですが、
演劇に興味を持ってここ10年、
タイの演劇協会で働いていました。
タイは雲南省とすぐお隣りで、
雲南のコーヒーに魅せられて、
時間があるとシーサン・パンナに近い
思茅というコーヒーの産地に出かけていたそうです。
この人は3人の中で唯一人のセミプロです。


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2003年11月3日(月)

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