第1611回
ブームになる所へ動きましょう

昭和29年の4月に
私は小説家を志望して、
向う見ずにも香港の仕事と住居を片づけて、
家内と1才になる娘を連れて
東京へ戻ってきました。
原稿料をもらえるあてもなく、
1銭の収入もないのに、
思い切ってそれをやったのですから、
大胆と言えば大胆ですね。
2年後には直木賞をもらえたからよかったのですが、
もし苦節十年を強いられていたら、
その後どうなっていたことか。

でもその時、私はそれ以外に自分が
生きて行く道はないと思い詰めていたのです。
2年くらいやって、
それで駄目ならその時はまたその時で
方向転換をやればいいじゃないかと
大してためらったりしませんでした。
私はいつもその時、
陽がさしてくる方向を目指します。
向日葵(ひまわり)みたいな性向を
生まれながらに持っているのかも知れません。

当時、日本は戦争に敗れて
仕事を見つけることも、メシを食うことも
容易なことではない時代でした。
でもあとで考えると、
戦後の廃地の中から世界の経済大国を目指して
経済成長をする時期にありましたから、
世界的に見て日本に
最もチャンスのあった時代です。
その日本で文筆で生きる立場におかれ、
しかも文学から経済の分野に横すべりをして、
「株の神様」やら「金儲けの神様」をつとめたのですから、
陽のあたる場所を嗅ぎわける本能を
持っていたと言えるかも知れません。

私はたまたま株をとりあげることから
スタートしましたが、
すぐに経済の発展は
株よりも土地の価格を押し上げる力が
強いことに気がつきました。
お金を借りてマンションを買った方が
株を買うより確率が高いので、
やがてマンションやビルの開発にも手を出すようになり、
原宿や渋谷や代官山で
個人企業に毛の生えた程度の小さなビジネスですが、
土地ブームに片足乗せた程度の財産づくりは
やるようになりました。
その時に私が気がつけたことは
やみくもに不動産ブームに乗ることではなくて、
どこが今後ひらけるようになるかに
気をつけることでした。


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