第1612回
原宿が東京の顔になることを予想しました

私が東京で1軒目に建てた小さなビルは
渋谷の東急本社の路地一つ隔てた位置にありました。
いまは全部取り壊されて、
渋谷セルリアンタワー東急ホテルになっているところです。
のちになって東急に売りましたが、
最初から大会社の本社の隣りを狙ったわけではありません。
でも経済の成長している時は
どこの大企業も拡張に拡張を続けましたから、
周辺を買い足して
本社を新築する可能性はありました。
昨今は逆に大会社が本社まで人手に渡して
賃借する側にまわっていますから、
大会社の隣りなんか狙っても
何の役にも立ちませんが・・・。

次にビルを建てようとして
私が物色したのが原宿でした。
どうして原宿と考えたかというと
東京中、見てまわって
一番パリのシャンゼリゼの大通りに近いのは、
表参道だと思ったからです。
当時は表参道に都営アパートがあっただけで
ビルらしいビルは何も建っていませんでした。
将来、日本の経済が大発展をして
東京がアジアの中心都市になったら、
東京にもシャンゼリゼの大通りのようなものが
できるのではないかと私は直感しました。
表参道はそうした条件を備えていますが、
美的感覚の欠如した東京都のお役人さんたちが、
何本も歩道橋をかけて
景観を台無しにしているのが
とても目障りでした。

でも私はここが
東京のシャンゼリゼになることを確信して、
表参道と明治通りの交差点から何軒目かのところに
30坪ほどの小さな土地を買って、
そこに自分の事務所を建てました。
ちょうど私が「話の特集」の再建に
力を入れていた時期なので、
「話の特集」の編集部もそこにおきました。

その後、私は渋谷に自分の本社を建てて
移りましたので、
原宿の店はジーンズの店に貸して
いまも健在ですが、
その後原宿は若者たちの街として
東京の顔の役割をはたしています。
私としては大して自慢のできることは
何もやっていませんが、
原宿が東京の顔の一つになることを予想したことは
いまも家賃という形で
僅かながらポケットに流れ込んでいます。


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