第1634回
三峡下りの旅にご一緒しませんか

大きな河のことを中国語では東流と言います。
中国の大きな河は
すべて東の方向に向って流れているからです。

私は揮毫を頼まれると時々、
「海不辭東流、大之至也」と書くことがあります。
海は河が流れ込むことを
拒んでいるわけではありません。
大きな河でないと海まで届かないのです。
つまり人に認められたかったら大人物になれ、
というほどの意味です。

中国の最大の東流はもとより揚子江です。
中国では揚子江と黄河の間を中原と呼んでいます。
中国の歴史は中原を中心として展開されており、
「中原を制する者は天下を制す」と言われています。
なかでも食糧が充分であるかどうかが
国の安泰を左右しますから、
堯舜の昔から治水は
歴代、統治者の最大の関心事です。
最近のように揚子江が年々、
洪水に見舞われ、
黄河の水が枯れて灌漑にも影響するようになると、
二つの大河の間でどう調整するかが
史上かつてなかったような
壮大なプランを生むことになります。

まだそこまでは具体化していませんが、
いまは三峡ダムが完成に向って
突貫工事をやっているところです。
来る10月12日(水)から20日(水)まで
8泊9日かけて重慶から宜昌までの
三峡下りの投資考察団の旅に出かけます。
このページに載せたハダカの男たちが
揚子江沿いに船を人力で引っ張りあげている光景は
まだ蒸気船が走っていなかった時代のものですが、
そんなに昔のことではありません。
10年前に私が
成都のホテルで見たガイドブックに
印刷されていたものですから。

この写眞から連想されるような
三国志の時代から
やがて揚子江と黄河がつながる未来を頭に浮かべながら
ご一緒に揚子江下りをやってみませんか。
北京から成都にとんで、
重慶から豪華船に乗り込み、
最後は上海で中国株投資の説明会と講演会をひらきます。
ご参加になりたい方は
どうぞアジア交流センターにお申込みになってください
村の小川でなくて、
たまには揚子江の魚で
舌鼓を打つことにしましょう。

動力がなかった時代は、人力で船を上流に曳いていました。
現在もいくつかの地域で、その慣習が残っているようです。

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