第1653回
一人前になるのに5年かかりました

役員の末席に名を連ねているとは言え、
パワー・ショベルの販売をやったこともない
ズブのシロウトが
販売代理店の仕事をやらせてくれと申し込んでも
色よい返事が戻ってこないのは
当り前のことです。
適当にあしらってお茶を濁すというのが
向うのやり方でした。

でもあちこちとびまわって
やっと新疆のウルムチで
現地産のパワー・ショベルを
2台売ることができました。
ところが、ちょっと油断して
2台目を引渡したところでお金をもらいそこない、
月賦になってしまっただけでなく、
その回収に3年もかかってしまいました。
それも刑事訴訟に訴える代わりに、
日本製のパワー・ショベルを売らせて、
そのコミッションの中から
少しずつ返済してもらうという
シビレの切れるような方法で
やっと回収したのです。

そういう苦しい場面もあったのですから、
販売会社の総経理に軽くあしらわれても
仕方がありませんが、
私は現地製品が駄目なら
何とかして日本製の販売で
実績を上げる方法はないかと模索しました。
こちらの責任者も変え、
日立建機の本社の販売本部長さんにも相談して
現品を2台、天津保税区にある
私たちの基地まで送り届けてもらいました。
現品もなくて、カタログだけで注文をとっても、
注文は現物のおいてあるメーカーに
行ってしまうのです。

おかげで何とかスタートを切ることができ、
1年目は3台、2年目が27台、
3年目が何と350台まで
実績をあげることに成功しました。
しかも出鼻で
お金がひっかかるような目にあわされましたので、
いままでのところ
どうやら1台もお金の回収ができない
という目にはあっていません。
最初は何だというような目で見られていましたが、
私は担当者に大きな口をきくのは
実績があがってからだ、
隠忍自重これあるのみと低姿勢を強いました。
それが4年目には703台に達しましたので、
この業界でも
世界に前例のない実績を上げることができました。
こうなると、本社の扱いも違うし、
世間の見る目も当然違ってきます。


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