第1876回
忘れっぽい国民と死んでも忘れない国民

中国の抗日、排日デモが起ったのは、
全く予期のできなかったことではありません。
小泉首相の靖国神社参拝や
教科書の改訂に対しては、
中国だけでなく、韓国など
日本の帝国主義の犠牲になったという
被害者意識がいまなお尾をひいている国々では、
恨みツラミとなって根強く残っています。
日本側から言えば、
一体、いつまで日本国内のことについて
干渉する積りなんだ、
もう何回も謝ったじゃないか、
内閣が変わる度に、
またはじめからやりなおせと言うのか、
と言いたくなるのも
わからないことではありません。

しかし、足をふまれた人とふんだ人とでは
痛さの感覚が違うのは当り前のことです。
また日本人のように
「昨日の敵は今日の友」と歌の文句にもなるような
忘れっぽい国民ばかりでないことも
日本人がよく覚えておかないと
いけないことだと思います。
もうその分くらいは経済援助で弁償したじゃないか
というのも日本人にだけ通用する論理なのです。

日本人の感覚で
自分たちが正しいと思うことであっても、
何も言わずに逃げるだけで
すませるわけには行きません。
なぜそうなのかきちんと説明したり、
相手の言い分をきくだけの度量は必要です。
靖国神社参拝について
日本の首相が公開の席上で説明するのを
きいたことがありません。
また教科書のどこに不満があるのか、
それに対して日本の政府はどう考えているのか、
研究会や検討会をひらこうじゃないかと
日本が提案したこともありません。
中国や韓国側から見ると、
日本人は横柄で傍若無人に見えてしまうのです。
それをお金ですんだと思うのは
ライブドアの言い分と
ちょっと似ているところがあるとしか思えません。
少々、小金を稼いだからと言って、
そんなに威張ることはないじゃないかと
隣国の人たちは思っているのです。

隣国のそうした感情を無視してしまうのも
もちろん、一つの行き方です。
しかし、そうでないつきあい方も
あるんじゃないでしょうか。
壁に頭をぶっつけないと
思っても見なかったことが起るのです。


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