第1936回
思うように進まないデザイン学校の設立

台湾海峡を挟んで
中国大陸と台湾が睨み合いをはじめてから、
アメリカに留学をした台湾の若い人たちは
親に言い含められて
その大半がIC関係の勉強をしました。
エンジニアなら外国人であっても
アメリカの居住権がもらえたからです。

そのおかげで、
一頃、アメリカのコンピュータの会社で、
台湾人のエンジニアをクビにしたら、
会社が潰れるぞと言われるほど
台湾出身の技術者が働いていました。
それらの会社が成長する過程で、
パーツを外注に出すようになったので、
発注する立場にあった台湾の人たちは
あざとく立ち廻って
アウトソーシングを受ける立場に移り、
台湾に帰ってパーツ屋さんをはじめたことが
台湾を世界一のシリコン・アイランドにしたのです。
いま台湾のパーツ・メーカーのオーナー社長で、
年間に100億円以上の配当金をもらっている人が
何人もいますが、
人生何が幸するかわからないものです。

でも台湾が
世界中に販売しているノート・パソコンや
携帯電話を見ても、
デザインに神経の行き届いた製品は
残念ながら見当りません。
台湾の人たちは実利の追求には熱心でも、
デザインにまで神経が行き届いていないのです。
その点、韓国の産業界は
日本に負けないだけ
工業デザインにも力が入っており、
サムソンの携帯電話を手にとって見ても、
また現代の自動車を遠くから見ても、
一味も二味も違うことがわかります。

中国大陸はこれからやっと
その後を追う立場におかれていますが、
北京は着る物も田舎っぺで、
広州もそんなには目立ちません。
僅かに上海には
アメリカ帰りのデザイナが集中していますが、
この際、インテリア、グラフィック、
ファッションの各分野で遅れをとらないように、
というのが私の願いです。
そう考えたので、
日本の有名校と
姉妹提携をする同意も得たのですが、
実際に計画を立てて見ると、
思うように進行しないので
戸惑っているところです。


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