第2059回
日本製品も猿眞似からはじまった

戦争に負けて4つの島に追い返された日本人は、
生活の糧を得るために、
ライカとかミシンのシンガーとか、
世界の有名ブランドのイミテーションをつくれと、
先進国からやってきたバイヤーたちに
注文されましたが、
その時、まさかそれがきっかけになって
日本を世界の工業大国まで押しあげ、
世界の富の分配を
大きく変えてしまうと予想した人は
恐らく世界中に唯の一人もいなかったと思います。

でも実際にそういうことが起ってしまったのです。
それはどうしてかと言いますと、
先ず背に腹はかえられず、
メシのためにはできることなら
何でもやらなくっちゃという瀬戸際まで
戦後の日本人が追い込まれていたからです。
そして、もう一つは伝統工芸に育てられてきた
日本人の手先の器用さと、
アメリカをはじめ世界の列強を相手にまわして
戦争をするだけの武器弾薬を製造する技術水準を
日本人が既に持ちあわせていたということです。

そうしたすぐれたレベルの技術を
持ち合わせていた日本人が
飢餓線上をさ迷っていたので、
メシのタネを目の前でちらつかされたら
とびついてこないわけがありません。
低廉な労賃とすぐれた技術と
1ドル360円という弱い通貨と
3つの条件が揃えば、
日本は「世界の工場」としての役割を
世界中のすべての国々に優先して
はたすことのできる立場におかれたのです。

世界中の人々が、日本人自身も含めて、
そういう可能性に全く気がつきませんでした。
いまの日本人は中国人が
よその国の人気商品のコピーをして
何の恥らいもないと言って批難しますが、
そのファースト・バッターをつとめたのは
ほかならぬ日本人だったのです。
「学ぶ」という言葉と同義語に
「まねぶ」という言葉がありますが、
「眞似る」と同源だと字書の中でも説明されています。
そもそも学問とは、
先輩の眞似をすることからはじまったものですから、
先ず先輩の眞似をして
同じレベルに達することを心がけ、
ついで自分のオリジナリティを発揮するのが
次の段階だということになります。
日本人もそういうプロセスを経て
今日に致っているのです。


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