第2061回
やりくりで経営する道をひらいたのも日本です

資源は国の支配下におかなくとも、
お金を払えば手に入ることを日本人は、
必要に迫られてやって見せました。
お金があって資源を買ったのではなくて、
メシを食うために前借りをして資源を手に入れ、
それを加工してつくった製品を
お金にかえてから、お金を払ったのです。

そのために、とても無理をしました。
払うお金がないので、
お金は3ヵ月後に払いますと言って、
支払い期日を3ヵ月後にした約束手形を切りました。
約束手形というシステムは
日本人の発明したもので、
他の国にはありません。
日本に近い韓国や台湾には似たやり方はありますが、
あくまでも現金決済が本命で、
ほかの国には全くありません。
約束手形は、もちろん、戦前からありましたが、
それが産業界の商習慣になったのは、
原料を加工して製品になってから代金を払うという
切羽詰った商売をやるようになってからのことです。
一社だけがそうやるのなら、
やった人の勝ちでしょうが、
それが商習慣になると
商品を納めて支払いを受けても、
受け取るお金もまた
似たようなサイトの手形になってしまいます。
それでは現金の支払いができませんから
銀行に行って受け取った手形を
現金に換えてもらう必要があります。
もちろん、そのためには
手形の発行者に信用があること、
万一、不渡りになった場合、
割引を頼んだ会社が買い戻す条件がつき、
社長がそのための個人保障をすることなど、
なかなかきびしい条件が要求されます。

こうした行きがかりがあって、
銀行がすべての日本の会社の金ぐりの内容にまで
大きくかかわるようになり、
またそれが銀行の大きな収入源として
定着してしまいました。
そのために経営が
借金経営中心となったばかりでなく、
他の国に見られないようなかかわり方を
銀行がするようになり、
おかげで、バブルの崩壊後、
他の国に見られないような大きな損害を
銀行が蒙るようになった遠因がここにあります。
元金がなくとも
何とかやりくりができるビジネスに道をひらいたのも、
日本がはじまりだったのです。


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