中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第2468回
私を訴えた首謀者のやったこと

私を詐欺師として訴えた首謀者は
私が主催する邱友会の会員の一人で、
いまから15年くらい前に、
私が香港の不動産投資に出かけた時に同行した
何百人かの中の一人です。

当時、97年の香港返還を目捷に控えて、
中共を信用しない香港人たちが香港の不動産を売却して
オーストラリアやカナダに移住をはじめていました。
それに対して私は
「大陸の香港化が起るのであって、
香港が大陸に呑み込まれてしまうのではない」と主張し、
むしろこの際、香港の不動産投資をはじめるべきだと考えて
同好の士を集めて香港へ出かけて行ったのです。

逃げ出す人ばかりで、買う人の少なかった香港の不動産は
利回わりが12%もありました。
私たちは全部で650室ほどのマンションを買い、
資金の不足する人に60%の銀行ローンをつけてもらうために、
信用力の不足する人たちの保証まで私が買って出ました。
途中で天安門事件もあってあわてふためいた人もありましたが、
ケ小平の改革開放宣言があると
香港の不動産は何と買値の5倍、6倍にもはねあがりました。
私を訴えた本人も少くとも21件は購入していますから、
莫大な収益をあげているのです。
(このことは東京の地方裁判所の裁判官も
判決の中で指摘しています)

香港の不動産投資が一巡すると、
次は大陸への投資がはじまりました。
その間に当人は私の香港の会社の総経理と懇意になり、
香港に移住するために
私の会社の従業員にしてもらえないかと私に頼みにきました。
私は承知しましたが、その後、
総経理が不正を働いたことが露見して私がクビにすると、
何と本人は私に無断でサラリーまでもらっていたことが
バレました。
「君が本当にもらっていたのか、
それとも君の名前で総経理がポッポにいれていたのか」
ときいたら、
「そんなことは弁護士にきいてくれ」
と捨て台詞を残して私の前から姿を消してしまったのです。
それから次々と私の知らないことがバレて
私の知るところとなりました。
私が総経理に預けてあった小切手のハンコを
すぐに取り返したので、
引き出そうとしていたお金が引き出せなくなってしまったのです。


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2006年12月12日(火)

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