中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3696回
ベトナムの大産業でも中国では斜陽産業

今でもホーチミン市やハノイ市に行くと、
オートバイが広い通りを埋め尽して川のように流れています。
はじめて見た時はとてもびっくりしました。
すぐそばでまだオートバイを買えない若い男の子が
自転車のハンドルを握って羨しそうに眺めていたのが
今も印象に残っています。

台湾では中国に比べて一足先に経済の成長がはじまり、
私が自分の故郷に自前で工業団地をつくった時、
次はマイカーの時代になると考えて
工員の駐車場までつくりましたが、
実際に猛烈な勢いでふえたのはオートバイでした。
日本ではオートバイの数はうんと少なくなりましたが、
台湾は今もマイカーと共存共栄しています。
オートバイの方が通勤にも便利だし、
ガソリンの節約にもなって衰える様子は見えません。

ですから開放政策がスタートして
人々のふところ具合が豊かな方向に向いはじめた時、
私は中国も必らずオートバイ・ブームになるだろうと考えて
中国でトップを走る済南軽騎の株を買い、
山東省の省都である済南の本社工場まで見学に行きました。
当時の済南軽騎は豊田市におけるトヨタのような存在で、
どちらを向いてもその広告が目につきましたが、
実はその時が済南軽騎の黄金時代で、
その後、売り上げもストップしただけでなく、
経営のトップが会社のお金を使って
株か何かで大きな損失を出し、株価は大下げに下げてしまいました。

どうして斜陽化したかというと、
オートバイに乗ると暴走したり、割り込みをして事故が続出し、
上海や北京をはじめ、
どこの大都市もオートバイの乗り入れを禁じたのです。
オートバイをつくっても売れなくなってしまったのです。
おかげでオートバイは成長株どころか、
斜陽産業になってしまいました。
そんなことを勘定に入れていなかった私は
ひどい目にあわされましたが、
あの頃はケチケチして
5万株とか10万株単位で仕入れていましたから、
損したと言っても大事に至るほどではありませんでした。
今なら大へんなことになりますが。


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2010年4月23日(金)

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