中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3831回
ついこの間まで日本人は

昔は隣りの県に行くのも大へんでした。
昔と言っても徳川時代のことではありません。
戦争中、東大で勉強していた私は
麹町の憲兵隊にスパイ容疑でつかまって
一週間ほど留置されたことがありました。
あとでわかったことですが、台湾から神戸まで来る船が
アメリカの潜水艦に撃沈されたのを私が冗談半分に
「僕のところに家から送ってきた砂糖の小包が沈んで、
海がその分、甘くなった」
と汪政権から選ばれて東大に留学していた
中国人の留学生に喋ったら、
そのまま憲兵隊に告げ口されてしまったのです。

丸太棒を立てて壁になった留置所の私の隣りの部屋に
中年の男が入ってきました。
番兵のいない時は小声で話をすることができたので
「学生かい。
何でこんな所へ入れられた?」ときかれたので
「台湾から来た学生だけど、
中国のスパイ容疑でつかまっているんです」と答えたら、
「そんなことなら心配ない。
すぐ容疑が晴れて釈放されるだろう」と慰めてくれました。

「あなたは?」とききかえしたら、
「山梨県の者だけれど、闇取引容疑でつかまっている」
と言って自己紹介をしてくれました。
「ヤミ米持って東京に売りに来たら、つかまってしまったんだよ」
「山梨から東京までヤミ米売りに来る人が
そんなにいるのですか」とききかえしたら、
「とんでもない。
うちの村では一生に一ぺんでいいから、
自分の背中と東京は見てみたいと思っている人が大部分ですよ」
という返事が帰って来てびっくりしたことが、
いまでも私の記憶に残っています。

ついこの間まで日本人は
隣りの県にも滅多に行ったことがなかったのです。
それが県はおろか、日本の国をとび出して
見知らぬ外国に行って生計を立てろという
スケールになってしまったのですから、
私の言うことに反撥したくなる人が多いとしても
不思議ではありません。
あれからまだ100年もたっていないのです。
でもグローバルに物を考える時代になってしまったのです。


←前回記事へ

2010年9月5日(日)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ