中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3832回
日本の歴史を辿って見ると

私は日本の植民地だった台湾で生まれて育ち、
日本人の通う小学校に通って日本の歴史や地理の勉強をしました。
それによると、
日本史のはじまる前に天照大神という女神が居り、
建国はそれよりずっとあと、
九州の宮崎県に天孫降臨して
大和の国が建国されたことになっています。
紀元節になると、
天孫降臨の歌を唄わされて、
台南神社というところに参拝に行かされました。
私の父は福建省の汀州の人で、
私の母は福岡県の久留米の人でしたが、
子供心にもどうして学校に行くと
こんなことをしなければならないのだろうかと
不思議でなりませんでした。

小学校で抜群の成績だったために
選ばれて台北高校の尋常科を受験して合格し、
そのまま高等科を経て、東大の経済学部に入り、
一高をはじめ全国の高校から集まったクラスメイトと
肩を並べるようになりましたが、
同じように本を読んでも、
私の解釈や着眼点は同じわけがありませんでした。

たとえば、日本の歴史の教科書を読んでも
私の解釈の仕方はまるで違います。
天孫降臨は九州の宮崎県に
天から降りて来たことになっていますが、
私のように柳田国男の「海上の道」を読んだことのある人は
南方の民族が暖流に筏を浮かべて
大挙して九州に上陸したんだなあとすぐにも納得しています。
いまでも筏をつくって
フィリピンの向うから暖流に浮かべると
日本にたどりついてしまうのです。

また今ではすっかり姿を消してしまいましたが、
日本でも九州男児はついこの間までフンドシを愛用していました。
はじめてボルネオに行った時、
現地の人が日本人と同じフンドシとオコシをしているのを見て、
とてもびっくりし、
日本人はきっとここから来たんだなと直感しました。
人間の歴史は教科書がねじまげて教えているのとは
似てもつかぬ物だなと改めて納得したことがあります。
日本人は昔から1つのところに根を下ろすと
植物のように動かなくなる民族ではなかったのです。
ですから、これからも同じことをくりかえすわけがありません。


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2010年9月6日(月)

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