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第3844回
作家志望にも部屋がありました

力士にも相撲部屋がありますが、
作家の卵たちにも小説家の部屋というのがあります。
それぞれ先生と仰ぎたい小説家の弟子になって
作品を書く勉強会があるのです。
私は学生時代
プロの物書きになりたいと思ったことは一度もなかったので、
そうしたツテがなく、
文学青年だった台北高校時代に台湾で
「文芸台湾」を主催していた元台湾日日新聞の学芸部長をしていた
西川満さんくらいしか
ジャーナリズムと関係のある知人はいませんでした。

西川満さんは戦後、日本に引き揚げてきてからは
生活のために大衆小説を書き、
キングや講談クラブに時々執筆していました。
私が自分の作品を持って訪ねて行くと、
丁寧に読んでくれて
「自分はいま長谷川伸先生に師事しているので、
新鷹会と言うそこの勉強会で読んで
皆の感想をきいてあげましょう」
と本当に月に1回あるその勉強会で読んで下さったのです。

そうしたら長谷川先生の弟子筋にあたる
山岡荘八さんや村上元三さんたちが
「君、どのくらい手を入れたの?」ときくから
「いや、一筆も」と答えたら、
「もしかしたら才能があるかも知れんぞ。
日本に来て本気で勉強するようすすめたらどうだね」
と言われたそうです。
そう言ういきさつもあって、
私は長谷川部屋の一員になり、すぐ直木賞の候補になって
1年目に候補になった
「濁水渓」という作品は見事に落選しましたが、
その1年後に何とか当選を果たした「香港」という小説も
すべて長谷川部屋の「大衆文芸」という雑誌に発表されたものです。

そういったいきさつもあって
私はスタートの時点で長谷川伸先生をはじめ、
新鷹会の先生方に大変お世話になりましたが、
私の作品はもともと日本の股旅物にはほとんど関係がないし、
自分でも大衆小説家だとは思ったことはありませんでした。
ですから活字になって雑誌に載った時、
東大の先輩にあたる当時、
流行作家の仲間入りをしていた檀一雄さんに送りました。
そうしたら檀さんがすぐそれを読んで
私を佐藤春夫先生のところへ連れて行ってくれました。
以来、私は長谷川部屋と佐藤部屋と
2つの部屋を行ったり来たりするようになったのです。


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2010年9月18日(土)

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