中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3869回
仕事をやるなら先ず場所選び

私は蝙蝠傘一本持って
横浜に上陸したことから話をはじめましたが、
その時はまだどこに住んで、どんな仕事からスタートするか
決めていませんでした。
どこを本拠地にし、どんな仕事をするかは、
その時々の偶然の積み重ねの過程で
自然に決まって行くものです。

東大の学生だった頃、私は将来、
上海の租界に行って住むことを望んでいました。
日本の植民地だった台湾に生まれた私は
差別待遇の中で日本の最高学府まで進むことができましたが、
どんなに勉強ができても、
東大の教授になれる見込みがなかったし、
肩を並べて勉強した学友たちが
日銀や大蔵省や一流企業の就職試験に応募しても、
私は採用してもらえるどころか、
受験さえさせてもらえませんでした。

その点、上海の租界は中国にとっては
屈辱の標本みたいなものですが、
法さえ犯さなければ、誰でも自由に活動できましたし、
差別待遇を受けないですむと考えたのです。
ところが日本の敗戦によって戦争が終って見ると、
台湾は国民政府の統治下におかれて
日本時代よりもっと大へんなことになり、
私は香港に亡命したり、さてはまた東京に舞い戻って、
小説家として身を立てることになってしまいました。

その時は筆一本で生きて行くために獅子奮迅の思いをしましたが、
偶然に選んだ仕事の場が戦後の高度成長、所得倍増、
はては20世紀の奇跡の本舞台になったので、
どこで仕事をするかが如何に大切なことかを
強く認識するようになり、同じ仕事をやるならこれから陽の当る所、
パイの大きくなる所に限ると確信して
次々と本拠地を台湾、香港、
中国大陸と移動するようになったのです。
最近、世界的な大事業に成長した
韓国の三星物産(サムスン)の創始者と仲良くなって
十何年にわたって毎月のように顔を合わせるようになったのも、
頭の中に描く未来図に共通するものが
あったからではないかと思います。
仕事をやるなら年々パイの大きくなるところに限ります。
ヘタクソでも分け前にあずかることができるのですから。


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2010年10月13日(水)

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