中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3926回
人手不足の解消が日本の大産業に

私がリクルートの江副浩正さんを私の家に招待したのは
昭和44年の夏のことでした。
どうしてそれを覚えているかというと、
その年の春に目黒の青葉台という所に
白い壁に赤い屋根のスペイン風の家を新築し、
44年4月4日に新居に引越しした直後のことだったからです。

いつもは文壇の大先生や先輩、
でなければ産業界の功なり名をとげた人たちが
私の家のお客でしたが、
たまには次世代の人に来ていただこうと考えて、
まだ副社長だった丸井の青井忠雄さん、
森ビルの若い専務だった森稔さん、
そして新しくはじまったばかりのリクルートの江副さんと
その片腕だった森村稔専務の4人をお招きしたのです。

のちに皆さん、
産業界でそれぞれ大活躍をするようになった方々ですが、
江副さんは東大で森さんと机を並べた間柄であり、
大学新聞を人材募集の手段に活用して話題になったので、
「発想がいいですね。
将来、大事業になりますよ」とご本人をおだてた記憶があります。
スタートは第5森ビルの屋上に掘立小屋を建ててもらって
そこを事務所にしたのですが、
「森ビルと言うだけあって雨がふると、本当によく漏りましたよ」
と冗談口を叩いていたのを今もはっきり覚えています。

私がどうして江副さんを招いたかというと
高度成長がはじまって日本の国全体が
人手不足に悩む時代に突入すると踏んでいたからです。
そうしたさなかで人集めのビジネスのトップに立てば、
新事業として発展することは間違いない、
と同時に、いくら大事業になっても、
人材登用ビジネスは形のないものだから、
「お金ができたら土地を買って不動産をふやしたらどうですか」
とすすめました。
はたしてリクルートは人手不足の波に乗って大事業になり、
リクルートは次々と
日本各地に大きなビルを建てるようになりましたが、
まさかそれが江副さんの躓きの石になるとは
その時点で想像することもできませんでした。


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2010年12月9日(木)

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