|  第53回誕生日と命日
  私事で恐縮ですが、本日は私の亡き父の誕生日です。誕生日に対する考え方は人それぞれだと思いますが、
 私は女性だからとか、男性だからとかいうことではなく、
 人の誕生日はとても大切だと考えています。
 なぜならば、知り合って、何らかの形でおつきあいをしているその人が、
 この世に生まれた日です。
 その相手が愛する人であればなおさら、その日を大切に想い、
 愛する人がこの世に誕生したその日と
 その親に感謝すべきではないか。
 これも相手を思いやるマナーのひとつだと私は考えます。
 さて、私の父は生きていれば、本日で68歳。亡くなったのは55歳のときですから、
 不思議なことに、68歳になった父を想像することができません。
 葬儀のとき、喪主の挨拶で私はこう言いました。
 「父は55歳でこの世に自ら別れを告げ、今、天国に元気よくGO!GO!と言いながら向かっています。
 いつも、明るく元気な父でした。
 父の最期は55歳。
 この歳を選んだのは、GO!GO!と
 皆さんにエールを送りたかったからだと思います」と。
 私の両親は離婚をしていたため、喪主は弟でした。しかし、私は大泣きをしながらの弟の挨拶が終わったあとに、
 そのマイクをとり、私は元気よく
 前述の言葉を参列者の皆さんに伝えました。
 これは、型破りといわれればそれまでです。しかし、私は父が何を望んでいるのかをわかっていました。
 父は涙が大嫌いな人でした。
 私が泣くといつも怒るような人でした。
 「いつも明るく元気よく」が父の口癖でした。
 男女間に関しては「女性は優しく、男性は強く」。
 生きることに関しては「他力本願ではなく、自力本願で」。
 昨今、さまざまなお別れのセレモニーの形が増えてまいりました。お悔やみのマナーにもいろいろとありますが、
 一番大切なことは、形式よりも
 故人が望むことをして差しあげることではないでしょうか。
 あの白洲次郎さんも「葬式無用 戒名不用」が遺言でした。人は、誕生し、この世を去る。
 だからこそ、誕生日も命日も大切に想い、
 その想いを相手に伝えたいものです。
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