「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第8回
新旧の 江戸前鮨が 揃い踏み (その1)

浅草1丁目1番地の「神谷バー」と
松屋デパートの間を北上して走る馬道。
真っ直ぐ行くと土手通りに突き当たって
不夜城・吉原への近道だ。
文明開化の横浜が馬車道なら、
江戸庶民の信仰を集めた浅草は馬道。
道路の呼称にまで
明治と江戸の時代背景の差がまざまざと表れている。

この馬道に江戸前鮨の名店が2軒並び立つ。
慶応2年創業の老舗「弁天山美家古寿司」と
開店15年目に入った「鮨よしだ」。
甲乙つけ難く、どちらの鮨もすばらしい。

現在「弁天山美家古」のつけ場に立つのは五代目親方。
色気のにじむ繊細なシゴトでならした
四代目とは打って変わって、
下町のオトコっぽさを前面に押し出す五代目は
にぎりひとつとっても、男性的にずっと大ぶり。
口に運んで舌に乗っけたときの実感は
先代のにぎりの3割増しはあるだろう。

ある早春のウィークエンド。
観音様に手を合わせたあと、
中学時代の同期生のオバさまばかりを
4人引き連れておジャマした。
冷えたスーパードライと大関ぬる燗のために
ちょこちょこっとしたつまみをお願いすると
北寄貝のひも酢・まぐろ赤身ぬた・まぐろ中落ち・
いかそうめん・小肌・煮穴子などが次々に。
やりいかとそのエンペラの煮つけには
いかの身入りの炒り玉子まで添えられている。
どことなく鬼平さんに好まれそうな一品。
30分ほどで、お銚子2本がカラになった。

初訪問は、四半世紀以上も前の1978年。
ちょうど隅田川の花火が復活した年のこと。
その頃の店内は昭和の情緒が濃厚に漂い、
つけ台の端っこには大関の菰樽が鎮座していたものだ。

3本目の銚子に突入して、にぎりへ。
平目昆布〆・真かじき昆布〆・きす・あじ・
おぼろをカマせたさより・おぼろ巻き。
あとは、みょうがを一面に散らした小づけ丼の
おすそ分けに預かり、これにて本日の打ち止め。

正真正銘の江戸前シゴトを
目の当たりにしたキレイどころ一同、
満面の笑みをたたえて、観音様のご利益に
深く感謝の春の宵。
         = つづく =


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