「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第13回
ムリではなかった14皿だが  (その2)

本日の初ヒットに一息ついて気を良くし、先へと進む。
蕎麦の実を貼り付けた帆立のソテーは
帆立の産地にして、ガレット(蕎麦粉のクレープ)の
ふるさとブルターニュを意識した一皿で、これはなかなか。
軽くポワレにした鳴門産のすずきは
地元で有名な漁師の村公一さんがキャッチしたもの。
ゆるやかな死後硬直による緻密な肉質がが魅力。
食感は広東料理の重要食材、赤はたに近いものがあり、
ツーベースヒットに値しよう。
そのあとのすっぽんのスープは残念ながら
和食の一流店には到底敵わない。

2本目の赤ワインへ。
今度はボルドーはサンテステーフの
シャトー・コス・ラボリ‘85年を。
20年の歳月を経て、
くすみの中にも落ち着いた安定感を備え、
やはりボルドーは15年くらいは寝かせてやりたい。

ここで登場した本日の主菜が鴨肉のロースト。
なぜかこれだけはビッグ・ポーションでズドンときた。
バランスを欠くというか、整合性を乱すというか、
主役だけゴッソリというのはあまり感心しない。
願わくば鴨一本やりでなく、
二本足と四つ足のの獣禽2種類を
それぞれに少しづつ味わいたかった。
赤ワインとの相性にも期待を寄せていたことだし、、、

いちじくと鬼ぐるみを添えたゴロゴンゾーラに続き、
干しぶどうのソルベ、ルバーブのグラッスなどの
デセールばかりが何と4連発。
こうして14皿のコースが終わったのだった。

食べきってお腹がパンパンでもなく、胃もたれもない。
意外にスンナリ収まったものの、なぜか満足感が薄い。
当夜われわれは4人で訪れた。
手渡された見開きのメニューには料理の記載がなく、
その代わり、アラカルトなしの理由はその日の食材を
すべて使い切るためだとか、魚介類は新鮮なうちに
肉類は熟成のピークに使用するだとか
いろいろとシェフの主義主張が書き綴られていた。

4人一緒に同じものを食べることの空しさ。
最初から献立作成のために談合する楽しみを奪われて、
どこぞのリッチなお宅に招待されているかのようだ。
店側の経営効率の影で、客側の選択肢が無視されている。
14皿の完食はムリではなかったけれど
どことなく不完全燃焼。
心の隅にシコリを残した15750円のフルコースであった。


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