「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第47回
浅草に行ったら 何を食べよう (その3)

「マノス」・「ボナフェスタ」と
浅草のロシア料理店を2軒紹介してきたが、
銀座でもなく、六本木でもなく、
都内でももっとも古い街のひとつ浅草で
ロシア料理の佳店が目立つのは
老舗「マノス」の貢献によるところが大きい。
「マノス」で修業した料理人が独立し、
同じ浅草で開業することが多いからだ。
あまり広いとはいいがたいエリアで
弟子たちによるロシア料理屋の開店を許しているのか
あえて目をつぶっているのかは判断しかねるものの
結局は共存を続ける本家本元の器量は
なかなかのものがあるのではないか。

ことサッカーに限らず、料理人にもサポーターはつきもの。
独立開業といっても、常連のいない知らない土地では
恐くて不安で、よほどのモノ好きでもなければ踏み切れない。
ましてや鮨屋・そば屋・イタリアンなど、
広く大衆に認知された食べもの屋ならまだしも
一般にはまだまだなじみの薄い特殊な料理のことだ。

加えて、東京ではロシア料理に対する評価が
低すぎることも、この料理の認知が進まない一因。
マズいという先入観が先立ってしまうのだろう。
確かに旧ソ連時代には様々なモノが破壊された。
ロシア正教しかり、ロシアの食文化もまたしかり。
1970年代に横浜からハバロフスク号に乗り込み
シベリア経由で渡欧したのだが、
ソ連での食生活は悲惨を極めた。船酔いのせいもあってか、
船の食堂など終いにゃガラガラだもの。
モスクワのレストランも大差はない。
チャップリンではないが、アレはステーキではなくて靴底だ。
ただしボルシチは船でもホテルでも概して美味しく、
モスクワの街角のピロシキも安くて旨くて
貧乏学生の一人旅行にはありがたかった。
そして今、本国でもゆるやかに、古き良きロシア料理を
復刻させようという機運が高まってきた。
ザクースカ(冷菜)を肴に国民的ウォッカの
ストリチナヤでも飲りながら、それまで待つとしよう。

そこで浅草のロシア料理屋をもう1軒。
やはり「マノス」出身のシェフが開いた「ストロバヤ」。
キャベツロールとグリヴーイが中心のコースが5000円。
グリヴーイというのはクリームシチューにパンをかぶせ、
オーヴンで焼き上げたもの。店では森の茸の壺焼きと呼ぶ。

この2品にボルシチを加えた3品は
通常、どこのロシア料理屋でも食べられ、ややマンネリ。
もともとロシアの貴族や裕福な商人は
フランス人の専任コックを雇っていた。
フランス料理からの脱却が新ロシア料理の重要な課題。
とにもかくにも、浅草へ行ったら、
天ぷら・すき焼きの代わりに、
近くて遠い国の料理を試すのも悪くはないということだ。


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