「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第53回
蝦蛄はどこへ消えた?

江戸前の鮨屋に入って必ず食べるつまみは
まずその日の白身。夏場なら、こち・ふっこ・真子がれい。
星がれいがあったら、もうそれだけでご機嫌だ。
秋から冬にかけては、平目・皮はぎあたり。
春先には小ぶりの真鯛で、あまり大きいのは避ける。
とにかく最初にお願いするのは常に白身で
やや薄めに切ってもらうことにしている。

もう1つ、あれば頼むの必注科目が
江戸前の蝦蛄(しゃこ)。それも小柴のものに限る。
愛知・三重、あるいは瀬戸内産も
無いよりましだが、小柴には到底かなわない。
北海道産などは論外、大味でどうにもこうにも、なのだ。

小柴という小さな港町は、蝦蛄だけで生計を
立てているようなところ。町のベーカリーにも
蝦蛄パンがあるくらい、地元の名物になっている。
地元だけでなく、東京湾で獲れた蝦蛄はほとんど
小柴に集結する。活けのまま釜ゆでして
手際よく殻を剥く技術が卓越しているためだ。
どんなに腕のいい鮨職人も
蝦蛄だけは小柴産の箱モノを使用する。

その江戸前蝦蛄の不漁がここ数年続いている。
昨年からはプッツリ獲れなくなった。
フーテンの寅さんの名セリフに
「夏になったら鳴きながら、必ず帰ってくる
あの燕(つばくろ)さえも、何かを境にぱったり姿を
見せなくなることだって、あるんだぜ」
というのがあるが、まさにそんな感じ、
消息がパッタリ途絶えてしまったのだ。

1980年代末には年間1千トン近くも
出荷されていたのに、今年は涙の禁漁。
来春に成育が確認されれば、解禁の予定とはいえ、
蝦蛄は一体どこへ消えたのだろう。
2年前の記録的な猛暑による海水中の酸素不足説、
後先考えずに根こそぎ獲った乱獲説、
いまだに原因はつきとめられていない。

去年の夏に海水浴を兼ねて、小柴の港を訪れた。
京急の金沢八景でシーサイドラインに乗り換え、
海の公園芝口駅下車。
セリが終わってアッケラカンとした市場を覗き、
寿司割烹の「かねへい」へ。
店主も不漁にはお手上げの様子だ。

つまみの蝦蛄は、2人でなんとか1人前を確保。
蝦蛄爪も1人前出してくれたが、所詮爪は爪。
あとは、車海老おどり・穴子刺し・
真子がれい煮付け・さざえ壺焼きで、お茶を濁した。
肝心の蝦蛄のにぎりも、やはり店主に
「1人1カンで勘弁してくれ」と拝み倒され、ガックシ。
骨折り損のくたびれもうけ、とまでは言わぬが、
蝦蛄をたずねて十里半、思えば遠くに来たもんだ。

 
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2006年9月13日(水)

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