「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第59回
神谷伝兵衛の遺産  その1

茨城県の牛久に初めて行ってきた。目的は2つ。
ピアニスト・中村紘子さんのチャリティ・コンサートと
「シャトー・カミヤ」でのフランス料理の夕食だ。
週末の昼前に上野から常磐線で、牛久に向かう。
明治36年に神谷伝兵衛が創設したワイン醸造所
「シャトー・カミヤ」に立ち寄り、コンサート会場へ。

われわれの世代にとって、当日の主役の中村さんよりも
夫君の庄司薫さんのほうが、なじみが深い。
もちろん芥川賞受賞作
「赤頭巾ちゃん気をつけて」を通してのことだ。
数年前に下北沢の小さな映画館で、同名映画を観たとき、
懐かしさで胸がいっぱいになった。
佐良直美の歌う主題歌を聴いたのは数十年ぶりだ。
それにしてもヒロインの森和代はなんで
森本レオと結婚しちゃったんだろう。

その庄司さんもみえていた会場にピアノの音が鳴り響く。
初めて生の演奏を聴いたのだが、
やはり一流のアーティストは違いますね。
失礼ながら、かなりのお歳を召してらっしゃるのに
迫力がまったく失せていない。
貫禄を蓄えながらも、いまだ若々しさに弾けているのだ。
彼女の愛するショパンの曲々は聞き応えじゅうぶん。
個人的に好きなハンガリア舞曲は有名な5番ではなく、
よりピアノにふさわしい1番の演奏で
これも耳になじんだ名曲だ。
聞き終えて、あらためて
ピアノは七色の音色の楽器だと実感するとともに、
爽やかな後味に酔いしれる。

演奏後の花束贈呈がまたユーモラス。
あまりに数が多くて、銀座のママの誕生日みたいな状態。
彼女のウイットで会場の、主に高齢者の方々に
逆プレゼントと相成った。いただいた人にとっては
冥土への、もとい、おウチへのいいお土産になったろう。

コンサートがハネたあとは、われわれ総勢12名、
ブラブラ歩いて「シャトー・カミヤ」に舞い戻る。
バンケットルームや資料館を見て回ったり、
地下のセラーでワインの試飲をしたりと
会食時間の17時まで飽きることはない。

明治36年といえば、日露戦争勃発前夜。
そんな昔に茨城は牛久の地に
葡萄畑を拓いていたとは
大したもんだよ、伝兵衛さんは!
まだ日本人の口に合わなかったドライなワインに
甘みを加えて飲みやすく改良したのも妙案だった。

その一方で、今では浅草の名物ビアホールとなった
「神谷バー」の創業、名代のデンキブランの発明など、
日本の洋酒の歴史に大きな足跡を残したことは
紛れもない事実だろう。明治の人は偉かった。

       =つづく=

 
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2006年9月21日(木)

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