「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第81回
見苦しいぞ 友里征耶! (その2)

前回に引き続き、身に降る火の粉を払い続ける。
友里氏の今さらながらの
掲載店に対する恨みつらみも言い訳がましい。
高額和食、高額フレンチと「高額」に
こだわるのはいったいどういう了見だろう。

高い金を出せば、ある程度旨いモンが
食えるのは当たり前。
採用する店のジャンル・エリア・予算の
バランスを取るのはこの手の本を
出版する以上、当然ではないか。
読者の方々にしても、タマにしか行けない
高級店の情報もさることながら
それにもまして、ポケットマネーで気軽に
立ち寄れる店にも興味がおありのハズだ。

ハナから居酒屋や洋食屋をさげすむ
その態度だけは、あらためていただきたい。
どこの社長さんだか存ぜぬけれど
連夜に渡って、高級店で食事のできる自分を
さも特権階級のごとくに自慢するのは愚の骨頂。
そうして、われわれ一般庶民を侮っていると
いざ日本に市民革命が起こった暁には
真っ先に断頭台のつゆと消えることを
ご存知ないらしい。

ついでにJ.C.は、高額和食を鮨屋で
代用できるなどと言ったこともござらん。
サカナの質と品揃えに関しては
鮨屋のほうが和食店よりも
1枚も2枚も上手だと断言したのですよ。

高額和食を好まない理由は
そういった店のほとんどが
おまかせで勝負してくるから。
したがって「龍吟」でも「小十」でも
和食の名店にはアラカルトが可能になる
深い時間におジャマしたい。
自分で食べるものくらい、自分で選びたいもの。
気心の知れた相方と一緒に品書きを眺め、
相談しながら献立を決めてゆくのが何より。
その楽しみを初めから奪い去るおまかせには
到底受け入れがたいものがある。
フランス人は食事そのものに匹敵するほどの
幸福感をメニュー選びに感じるというではないか。

たびたび引用する言葉なので、再見の方には
片目をつぶっていただきたいが、
ロシアの文豪ドストエフスキーは
こんなふうに語っている。
「コロンブスが幸せだったのは
アメリカ大陸を発見したときではない、
大陸を発見しつつあったときだ」
まさしくその通り。
重ねて強調させていただきますが、
J.C.は、あてがいブチは御免こうむりたいのです。


       =つづく=

 
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2006年10月23日(月)

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