「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第82回
見苦しいぞ 友里征耶! (その3)

「火の粉払い」も今回で最後にしたい。
なぜって、読者もそろそろ飽きるころだし、
「食べる歓び」と題したコラムなのに
ちっとも歓ばしくないからだ。
友里のおとっつぁんも罪なヒトだよ、まったく。

連日の焼き鳥・おでんには、
さすがの氏もお手上げだった様子。
好きな鱧や鮎が食べたいのに、ご苦労なことでした。
これからはいよいよ河豚のシーズン。
河豚も大好物だと聞き及んでいる。

河豚に鱧に鮎か?
なんとまぁ、豪勢な。
天皇陛下ですら毎日そんなものばかり、
召し上がられちゃあ、いませんよ。
J.C.も河豚は好きだけど
冬に河豚がなくとも、平目があればいいし、
夏の鱧と鰻なら、鰻を取りたい。
鮎がこの世から消えても、それほど困りはしないが、
鰯がいなくなったら困る。
目刺しも、しらすも、つみれさえも
食べられなくなるんだからなぁ。

そうそう、友里氏が再三かみついてくる
和食の「華」のお椀。
和食の華がお椀というのは
何も氏から聞かされなくとも
耳にタコができるくらい聞いてきた。
マスヒロさんなんか20年も前に
そう言っている。
先代が腕をふるっていた頃の
京都「千花」のお椀に、涙を流したそうだ。
つぶさに見ていていた女将さんから聞いた。
その数ヶ月後に同じものをいただいて
涙こそ流さなかったが、
胸の奥で何かがハジケたことは確か。

本物の食通も、似非グルメも
和食の華がお椀というのは、すでにお題目。
J.C.はそんな風潮に一石を投じようと
「和食でもフランス料理でも、お椀やスープが
 主役を張ってしまったコースはバランスが悪く
 完璧ではない」
「ことあるごとに、和食の華はお椀、お椀と
 念仏のように唱えるのはチャンチャラおかしい」
そのように言ったのです。

吾亦紅(われもこう=バラ科の草花)を詠んだ
「吾も亦 紅なりと ひそやかに」
という句を、友里氏はご存知だろうか?
和食のコースの中にあって
「われもまた 一汁なりと ひそやかに」
お椀には、そんな存在でいてほしい、
それがJ.C.オカザワの想いなのです。

           =おわり=

 
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2006年10月24日(火)

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