「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第85回
長嶋夫妻の思い出  (その1)

ここ最近、あまり長嶋元巨人軍監督の近況が
伝わってこないが、お元気なのだろうか。
われわれの世代にとって「背番号3」は
何ものにも代えがたい存在だったから
やはり気になる。

小学生のころ、野球チームを結成しても
ほとんどの選手の背番号が3番。
あとは1番と18番がぽつりぽつり。
あれでは誰が誰だか、判ったものではなかった。

学生時代から、都内某ホテルで
アルバイトにいそしんでいたから
まだ現役選手だった長嶋さんの姿を
たびたびパーティー会場でお見かけした。

自民党の国会議員の
「○○君を励ます会」と銘打った宴会が
頻繁に催されるホテルだったので
大物政治家の接客係を務めることも多かった。
歴代の首相では、下戸だった三木さんの
飲みものはいつも決まってウーロン茶。
ウイスキーの水割りにソックリだからだ。
中曽根さんは意外なことに、ジンフィズがお好き。
今では誰も飲まないカクテルの
甘酸っぱい味がお気に入りなのか
アルコール分を抑えたのかは訊きそびれた。
今度お会いしたときに確認したい。
もっとも会う機会などないか。

ほかにも大スターに接する機会に恵まれた。
中でも強く印象に残っているのは
レイ・チャールズ、シルヴィ・バルタン、
それに石原裕次郎と勝新太郎。
ここ数年、飛ぶ鳥を落とす勢いの
栗原はるみさんの夫君、栗原玲児さんと
勝新のひと悶着の際には
スタッフ一同ハラハラさせられたものだ。

病から復帰した裕次郎の快気祝いパーティーが
そのままテレビ東京で生中継されたことがある。
終了直前に到着した兄の慎太郎現東京都知事が
番組の進行を無視してスピーチを始めてしまい、
フィナーレに裕次郎の歌う
「夜霧よ今夜もありがとう」のイントロが流れても
終わることがない。
曲の途中から歌う羽目になった裕ちゃんの
スネること、スネること。
「俺はアタマからじゃないと、歌えねェんだよ」
ブツブツ言いながら
結局ハミングでごまかし通しちゃった。

そんなとき、長嶋夫妻のテーブル担当という
千戴一遇のチャンスが到来したのだった。

        =つづく=

 
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2006年10月27日(金)

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