「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第140回
藤田嗣治の食卓

昼食を食べに日本橋の定食屋に入ったときのこと。
定食屋といっても、夜には酒肴も豊富な和食店だが、
ヒョンなことを思い出した。
案内されたのは、ちょうど先客が席を立ったテーブル。
卓上には頭と中骨だけになった鯵の塩焼きの残骸が。
その脇には食べ残されたきゅうりの糠漬けが1片。

待てよ、ありふれた光景ながら
この景色はどこかで見たことがあるぞ。
脳裏の片隅に姿がぼんやりと映っているが、
それがどこだったのか、なかなか思い出せない。
注文した赤魚の粕漬けが運ばれても
そのことが気になって、食事に集中できないのだ。

輪切りにされたきゅうりを
奥歯でカリッと噛んだときに
ハタと気が付き、思わず膝をポン。
同時にオカッパ頭にロイド眼鏡の
藤田嗣治の顔がアップで浮かび上がった。

あれは半年以上も前のこと。
ところは竹橋の国立近代美術館の藤田嗣治展。
1枚の自画像は彼が自宅の茶の間でくつろぐ姿。
卓袱台には朝食だか昼食だか、あるいは
晩酌の形跡はなくとも、枝豆があるから
ひょっとすると夕食かもしれぬが、
食事の跡が克明に描かれていた。
「そうだ、あの絵だよ!」
のどに刺さった魚の小骨がスルリと抜けた思い。

その夜更け。帰宅後にあの日の日記をチェック。
1936年に描かれた絵の前に釘付けになり、
食卓の様子を書き記しておいたのだ。

長方形の小さな卓袱台の上には
散らかった枝豆の抜け殻に
先ほど見たのと同じ鯵塩焼きの頭と骨。
ごぼうの如くに縦切りにされたきゅうりの漬物。
里芋の煮付けの残りと空っぽの湯呑み。
醤油の小皿が茶碗に重なり、
味噌汁のお椀には木製の箸が渡されている。
ほかには醤油差しがポツンとあるのみ。
おそらく藤田の作品の中にあって
もっとも所帯じみた絵なのではなかろうか。

1936年といえば、二・二六事件が起こった年。
軍部が破滅に向かって暴走を始めた頃のこと。
すでに名声を博していたはずの大画家の食事が
意外にも質素極まるもので、いささか驚いた。
当時の日本人の食生活が活写されてもいて興味深い。
焼き魚と枝豆に芋の煮付け、
あとは、ごはん・味噌汁・漬物の3点セット。
文字通り「絵に描いた」ような庶民的献立て。
藤田はこんな食事を愛したのだろう。

祖国を追われるようにして
再びフランスの地を踏み、晩年には洗礼を受け、
レオナール・フジタとなっても
日本食への恋慕は終生続いていたようだ。
とりわけ、いかの塩辛が大好物だったという。
1952年8月に発売された桃屋のいか塩辛は
すでに市中に出回っていたけれど、船便では不安だし、
送る人とてなかったのかもしれない。

 
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2007年1月12日(金)

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