「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第248回
想い出の詰まったハンバーガー (その1)

洋食屋のハンバーグステーキは時々注文するのに
パティをバンにはさんだハンバーガーは
めったに食べることがない。
いつの頃からそうなったのか記憶にないが
学生時代にはもっと食べていたような気がする。

1960年代の後半から約10年間ほど
東武東上線の成増に住んでいた。
大学の1〜2年の頃は過激派のロックアウトで
授業どころではなかったから
もっぱらホテルのアルバイトに精を出す毎日。
休みの日には成増駅前のパチンコ屋で
半日を費やすことも少なくなかった。

当時のパチンコはすでに玉込めは自動だったが、
まだダイヤル式以前のいわゆる手打ちで
盤上にはチューリップが開いたり閉じたり、
それはそれは面白かったものだ。
ここ20年ほどパッタリと玉を弾かなくなったけれど
あの時代のパチンコだったら遊んでみたい。
都内のどこかに復刻版パチンコセンターでも
できないものだろうか、需要はあると思うんですがね。

そんな「されどわれらが日々」を過ごしていた
ある日突然、パチンコ屋のはす向かいに
「モスバーガー」の1号店が誕生したのだった。
1972年3月12日のことである。
その前年には銀座三越の1階に
「マクドナルド」の日本上陸1号店がオープンして
世はまさにハンバーガーブームに沸いていた・・・
かどうかは定かではない。

成増の「モス」は、銀座の「マック」とは
比べようもないほどに貧相にして暗い感じの店舗。
ハッキリとは思い出せないが、
部分的に葦簀(よしず)張りではなかったろうか。
ハンバーガー・ショップといいうよりも
かき氷の旗かなんかがヒラヒラ舞っていたほうが
はるかに似合うような店だったのである。
ただ、初めて食べたモスバーガーの味だけは
克明に覚えていて、けして忘れない。
頭の記憶は頼りなくなるばかりなのに
舌の記憶はまだまだ捨てたものではないのだ。

ケチャップを使うまでもなく
甘さの勝った味付けと厚めにスライスしたトマトに
かなりの主導権を与えたバーガーは強く印象に残った。
美味いまずいは別としてインパクトだけは
強烈だったと言えるのである。
以来ときどき自分が打つパチンコ台に
食事中の札を置き、道の反対側に向かったものだ。

大学2年の夏が過ぎても、授業の始まる気配はない。
もう完全に成増の自宅と芝公園のホテルの間を
往復する毎日となってしまっていた。
そのうちバイトのほうに熱が入ってしまい、
家には週2〜3回しか帰らなくなる。
深夜に宴席のテーブルを取っ払い、
翌日のスタンバイを終えると、
新橋は第一京浜のガードそばにあった
「R」という雀荘に直行するのである。

           =つづく=

 
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2007年6月13日(水)

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