「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第276回
日本の誇る五大どんぶり (その4)親子丼篇

五大どんぶりのうちで唯一、
大阪で生まれたと思われるのが親子丼。
明治36年に大阪で開催された
第5回内閣勧業博覧会でお目見えしたらしい。
アイスクリームの本邦初公開もこのときだ。

入場者でごった返す会場には
食べもの屋の屋台もたくさん出ていた。
いずれも商売繁盛で
いかに迅速に注文の品を提供できるかが
売り上げ増に直結したことは想像に難くない。
鳥肉を玉子でとじたと言うより一緒に煮たものを
ぶっかけ飯にして売ったようだ。

そのとき生まれた絶妙のネーミングが親子丼。
これが日本人の心をグッとつかんで離さない。
以後、親子丼は日本全国津々浦々、
またたく間に普及していくことになる。
現在、博覧会の跡地には、あの通天閣が建っている。

一方、東京にも元祖・親子丼を
ウリにしている有名店がある。
人形町は甘酒横丁の行列店、ご存知「玉ひで」である。
HPによると五代目の妻女・山田りくさんが
明治の中頃に創案したもので当時は
兜町や日本橋の魚河岸あたりへ盛んに出前されたという。
この店の親子丼は少々味が濃いものの
もつ入り親子など一食の価値はあるのだが
客あしらいが気に染まないので滅多に出掛けない。
悪貨が良貨を駆逐するが如くに、接客は料理を駆逐する。

勧業博覧会としゃも鍋の「玉ひで」。
おそらくこの2本のルーツに相関関係はなかろう。
大阪生まれと東京生まれの2本の枝が栄えて
日本中に葉が繁ったと考えれば角も立つまい。

京橋の有名な焼き鳥店「伊勢廣本店」の並びに
栄一」という界隈ではよく知られた
もう1軒の焼き鳥店がある。
この店のランチタイムの親子丼は関西風。
京風と言ってもよいが、京風のルーツは
大阪の博覧会にありそうだから関西風としておこう。

つゆだくの親子丼ながら、甘さを抑えたつゆなので
お茶漬けのようにサラサラいけてしまう。
ごはんが固めに炊かれているので
よりいっそう美味しく食べられる。
真ん中にエクストラの玉子の黄身がポコリと1個。
客の目を喜ばせつつ、得した気分にもさせてくれる。
三つ葉としいたけと海苔の香りが
このタイプの親子に優しくなじんでいる。

神楽坂の毘沙門天前に
うどんすきの「鳥茶屋本店」があり、
すぐ近くの支店「別亭 鳥茶屋」では
ランチタイムに親子丼が食べられる。
関西風とは異なるが、薄味仕立てで食べやすい。
プリッとしたもも肉にからんだ黄色い玉子に
海苔と三つ葉が散って、見た目も味も格別だ。
加えてお運びの女性陣の接客が丁寧にして迅速。
心配りに気ばたらきも行き届き、
ホスピタリティに接するだけでも訪れたい優秀店。

            =つづく=

 
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2007年7月23日(月)

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