「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第292回
明治生まれの洋食屋3軒 (その1)

2つの巨星が相次いで墜ちた。
スウェーデンのベルイマンのあとを追って
イタリアのアントニオーニが亡くなった。

学生の頃、ストックホルムに半年ほど
棲んだので、スウェーデンには愛着がある。
ベルイマンの映画も何本か見た。
夏から秋にかけて滞在したために
多少なりとも明るい陽光に恵まれた彼の地しか
知らないから、どうしてベルイマンが
あんなに陰鬱な映像が撮れるのか、理解に苦しんだ。
ただ当時はサルトルに傾倒していて
実存主義の影響を受けたベルイマンには
近しい感情を抱いていたのも事実。

ミケランジェロ・アントニオーニは敬愛している。
好きな彼の映画は1960年から62年に撮られた3本。
「情事」・「夜」・「太陽はひとりぼっち」。
殊に愛の不信と不毛を描いた
「太陽は・・」は大好きな映画だ。
ジョヴァンニ・フスコのテーマ曲もすばらしい。
もっともこの映画をその時々の恋人にすすめると
そのうちの三割がたは「何、これ?」という反応。
まったく理解不能なのである。
まっ、人それぞれに千差満別だが、
そういうオンナとはほどなく別れた。
そして「ひとりぼっち」に返るのである。

2年の間に上映されたA・ドロンの2本の映画、
「太陽がいっぱい」と「太陽はひとりぼっち」は
まさしく対極の「光」と「影」と言ってよい。
前者はそのまま原題の直訳。
後者の原題は「日蝕」の意なのだ。
ルネ・クレマンとアントニオーニの2人の監督が
意識して2本の映画を連結させたとは考えにくいから
単なる偶然としても
何か因縁めいたものを感じざるをえない。

ちなみにA・ドロンの主演映画のベスト5は
 (1)「太陽がいっぱい」・・R・クレマン
 (2)「太陽はひとりぼっち」・・M・アントニオーニ
 (3)「若者のすべて」・・R・ヴィスコンティ
 (4)「冒険者たち」・・R・アンリコ
 (5)「サムライ」・・J・P・メルヴィル
偉大な監督たちがこぞってドロンを使っている。
このあたり、宇崎竜童・谷村新司・さだまさしが
揃って山口百恵のために曲を書いたのと似ている。

1963年の暮れ。まだ小学生だったが
ベストセラーの「愛と死をみつめて」を読んだ。
文中、「太陽はひとりぼっち」を
独りで観たマコが、ミコが元気だったなら
この映画を一緒に観たかったと綴っている。
J.C.はその2年後に今はなきシネマ新宿で初めて観た。

前フリが長くなった。
アントニオーニ(1912−2007)も
ベルイマンも(1918−2007)1910年代の生まれ。
日本ならば、大正生まれということになる。
今日から3日間に渡ってお送りするこのコラムは
彼らより年長にして
今もなお生き続ける洋食屋のおハナシ。
題して「明治生まれの洋食屋3軒」。
3軒ともに往時は花街だった人形町にある。
花街と洋食屋は密接な関係で結ばれている。

        =つづく=

 
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2007年8月14日(火)

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