「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第302回
巣鴨プリズンの献立

嶋田繁太郎元海軍大臣がしたためた
巣鴨プリズン時代の日記が公開された。
その日記の一部から推察するに
よくもまあ、この程度の人物が
軍政のトップに君臨していたものだと思う。
これでは数十万に及ぶ水漬く屍も浮かばれまい。

A級戦犯として訴追されながらも生き残り、
敗戦から10年を経た1955年には
釈放された彼の戦争責任はともかく、
書き残した巣鴨プリズンの食事メニューには
興味深く目を通した。

巣鴨プリズン(拘置所)の前身は巣鴨刑務所。
明治の頃は巣鴨監獄と称された。
大戦中はゾルゲ事件の首謀者、
リヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実、
戦後は東條英機ら7人の戦犯の絞首刑が
それぞれここで執行されている。

その嶋田が残した食日記。
日経新聞の8月12日付朝刊に
1948年1月27日から31日までの5日間の
全15食が掲載された。
克明なわりにはずぼらというか、稚拙というか、
表現力の乏しさが浮き彫りになっている。

濃スープはポタージュのことだろう。
ボイルドビーフや鱈ボイルなどの記述が
あるかと思えば、ただ単に鰈とあったりもする。
煮付けなのか焼き物なのか判然としない。
果缶というのも、みかんなのか、桃なのか、
はたまたパイナップルなのか判らない。
まっ、ミックスフルーツということもあるか。

その当時の食糧事情を考えれば
リッチな食事内容であることは間違いない。
ボイルドビーフに限らず、ビーフパイや
野菜ビーフ煮など牛肉が頻繁に登場するし、
鱈・鰈・甘鯛など魚介も豊富。

不思議なのは、鱈と鰈はともかく、
嶋田が甘鯛を甘鯛として認識できたこと。
尾かしら付きとは考えにくく、
切り身で出されたはずだから
相当のサカナ通でないと判別できないだろう。
看守に訊ねたのだろうか。
そうだとしても看守は米国人だろうから
甘鯛なんぞ生まれてこのかた見たこともないわけで
例え日本人の看守だとしても
その人物が甘鯛を見分けられるとは思えない。

パンとコーヒーと紅茶が毎日のように献立に載り、
バター・チーズ・クリームなど乳製品も同様。
拘置されていた10年間、ずっとこのような
いや、次第にもっと豊かになったはずの
食事を食べ続けていたのだろう。
1960年代の学校給食よりはるかに豪勢だ。

当時、日本人がTVのホームドラマを観て
あこがれたアメリカ家庭の食卓と冷蔵庫。
その時代、日本の庶民より
アメリカの囚人のほうが
いいモノを食べていた歴然とした事実。
戦争に負けるということは、こういうことだ。

 
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2007年8月28日(火)

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