「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第348回
桂川の若鮎と 吉野川の大うなぎ (その2)

活けの天然若鮎をそのまま炭火で焼く。
これで美味しくなかったら、鮎を食する意味がない。
作家の山口瞳が言っていた。
「ヨソの人が珍重するほどには
 私は鮎にその重要性を認めてはいなかった」
そう言われてみればそうだ。
鮎はそんなに旨いサカナなのだろうか?

はたして、こんがりと焼かれた若鮎は
想像をはるかに超えるものがあった。
仔豚や仔羊や仔牛や子鳩や子鴨も
親より旨いが、子鮎もまさしくそうであった。
1人当たり3尾が割り当てられたが
5〜6尾はほしくなるところだ。

塩焼きをアタマからむしゃむしゃ噛み下す。
すだちも蓼酢(たです)さえも添えられない。
そのまま鮎の滋味だけを喫せよ!
そんな店主・Y本氏のメッセージが
そこに込められている。

10センチにも満たない、
いたいけのない子鮎は串打ちされて
アタマを下に焼かれるものだから
垂れ落ちる自分自身の脂で
そのアタマが唐揚げ状態になっている。
言わば、カラダはチャコールグリルドだが、
アタマはチャコールフライドという、
世界に類を見ない調理法で仕上げられているわけだ。
いまだかって、これほどの鮎に
出会ったことはございません、ハイ。

カラオケで、上手な人のあとにマイクを持つのは不利だ。
美味しい皿の次の皿にも同じことが言えよう。
ここでユニークきわまる料理が登場。
和牛のイチボ(霜降りもも肉)の肉じゃがだ。
低圧力でゆっくり時間を掛けて熱を通したもので
圧力釜の真ギャクをゆく料理法であった。
これには豪州産の黒トリュフがあしらわれる。
ブラジルのシュラスコ料理の珍品、
クッピン(セブ牛のコブ)を思わせる食感を楽しむ。

最後は先刻あらかじめ活きている姿を
拝ませてもらった大うなぎ。
徳島県の吉野川で捕獲されたそれは
スリコギほどの太さがあり、胸は黄色に輝いていた。
ウナギの名称の由縁となった胸黄(むなぎ)そのもの。

大うなぎはうな丼に仕立てられて供された。
皮目がパリッと焼かれ、身肉はシットリしているものの、
それなりの歯応えを残して、存在感を主張する。
蒲焼きは一種の焼き魚であることが実感できる。
獅子文六の代表作「てんやわんや」には
愛媛の岩松川の大うなぎが出てくるが、
この吉野川といい、高知の四万十川といい、
四国の河川は天然大うなぎの宝庫と言える。
生青海苔の味噌椀ともども、いや、実に旨かった。

締めくくりのデザートはY本氏の独壇場。
シャンパーニュのクリームソーダ。
桃・苺・ラズベリー・マンゴーのシロップのかき氷。
りんご本体そっくりに作り上げた、丸く大きいりんご飴。
見た目がベーコンエッグそっくりの奇妙なお菓子。
一同こぞって目をむいたあと、大笑いとなるのであった。
日本は平和なり。

 
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2007年10月31日(水)

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