「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第363
あの友里も たまにはいいことを言う

誰にでも見さかいなしに咬みつくことから
世紀の咬みつき魔の異名を取る友里征耶だが
ごくごくまれに、いいことを言うこともある。

往年のTVドラマ「逃亡者」のナレーションに
「正しかるべき正義もときとして
 盲(めしい)ることがある」―というくだりがあるが
彼の場合はその真ギャクで
「間違いだらけの友里もときとして
 正しいこともある」―なのである。

11月14日付けの彼のブログのテーマは
「高額洋食屋の存在意義」だった。
かいつまんで、少々引用してみると、

まずはこれら高額洋食屋の立地を見てください。
浅草など下町、そしてせいぜい銀座ではないでしょうか。
下町には予算をあまり気にしない記念日的な食事、
または経費で対処できる接待向けの
フレンチ、イタリアンの店が少ないのではないか。
そしてキーワードは年配客です。
いずれの高額洋食屋もそれを支えている常連は
年配の方が多いということ。
フレンチ、イタリアンより彼らには親しみやすい、
馴染みのあるのが「洋食」ということでしょうか。
メニューもすべて読めるというか
何が出てくるかわかるのも安心です。
ちょっと豪華に、または経費で接待に、
年配の方を中心にしたグループにとって
使い勝手がいいのがこの「高額洋食屋」の
存在理由であると考えます。
しかしこの先、本場物に近いフレンチや
イタリアンを食べなれ、CPにシビアな若者が
年配になったらどうなるんでしょうか。
10年とは言いませんが20年先が心配であります。

同じ文章の重複が多いため、
筆を入れさせてもらったが、
言わんとするところには忠実を心がけた。
彼が提起する問題は2点ある。

まず20年先に高額洋食屋が存続しているか否か?
これは大丈夫でしょう。
フレンチに比して手間を掛けていないとおっしゃるが、
上等な蟹・海老・かきは仕入れ値が相当に張るものだ。
海老&かきフライ、蟹コロッケの人気が衰えるとも思えない。
洋食と仏&伊料理は別ジャンルとしてとらえるのが正しい。

問題点は高額洋食屋を支える年配の方々にある。
友里さんの指摘はその点、的を射たものだった。
彼らが高額洋食屋をサポートする理由としては

(1)なじみがあるから仏&伊料理より親しみやすい。
(2)メニューが読めるから何が出るか判って安心。
(3)豪華な接待を経費で落とせばフトコロは痛まない。

(1)と(3)は判る気がする。
食べなれた料理での接待ならば気も楽だ。
寂しいのは(2)で、レストランを利用するのに
最低限必要な知識と教養を備えた客が
あまりにも少ないことを意味している。
複雑怪奇な高級和食はおまかせ一辺倒、
料理名すら判らない仏&伊料理はコース一本やりでは
大切なお客様にもてなしの心が伝わらない。
それより、何より、これから口説き落とそうとする
女性の食べるモンくらい、自分で選んでやりましょうよ。

 
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2007年11月21日(水)

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