「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第410回
かげりの見えた ばらちらし

JR四谷駅前の四谷見附交差点のそばに
界隈では随一の鮨の名店がある。
オープン当時は「すし匠 はな屋与兵衛」と
名乗っていたようだが、
江戸前鮨の流祖の名を流用するのに
気恥ずかしさを覚えたのか、
はたまた和食ファミレスと混同されることに
嫌気が差したのか、
最近は単に「すし匠」で通しているようだ。
江戸前鮨とは一線を画するそのスタイルからも
このほうがスッキリとしてよい。

美味少量の酒肴の数々に小ぶりのにぎりを
はさんでくる流儀はけして嫌いではないが、
違和感を抱く客もいよう。
たとえば呑ん兵衛のオトコと
下戸のオンナがカップルでやってくると、
お互いのリズムが崩れることもあるかもしれない。
店主は目配り・気配りに長けた御仁につき、
如才なくもてなしてくれるが
鮨屋における理想のカタチとは言いがたい。

それでもJ.C.はこの店を買っている。
サカナたちの品揃えは都内屈指のものがあり、
目を舌を心ゆくまで楽しませてくれるからだ。
そのぶん、いただいたものを記憶するのに
神経を集中させなければならず、
相方との会話がおろそかになるうらみはあるが
鮨屋ではあまりしゃべくらないほうがスマートだ。

初回は数年前の昼のばらちらしだった。
その美しさと美味しさに魅了され、
翌週に再訪し、それから間もなく夜にも出掛けた。
1度などは、いくら抜きのばらちらしをお願いして
どこかもの足りなさを感じ、やはり余計なことを
するものではないと猛省したことも。

ある日、この店のばらちらしが食べたくなり、
予約の電話を入れておジャマした。
待つこと5分少々で久々のご対面がかなったが、
以前とは違い、なぜか華やぎと輝きを失っている。
気のせいかなとも思いつつ、一口食べてみると、
具材の一体感を感じるものの、
それぞれの個性の際立ちに欠けている。
内容はかくの如し。

ばらちらし
 白身(真鯛か?)・まぐろ赤身づけ・春子・たこ・
 酢いわし・穴子・蒸しあわび・ばふん海胆・芝海老・
 小柱・いくら・子持ち昆布・かまぼこ・錦糸玉子・
 しいたけ・かんぴょう・漬け生姜・貝割れ・きゅうり・
 海苔・白胡麻
しじみと生青海苔のすまし椀 
新香(山芋浅漬け・奈良漬け・べったら漬け・漬け生姜)

相変わらず美味しいことは美味しい。
値段も据え置いて1500円のままだ。
目の前の職人があとから来た客のちらしを
作っているのを見ていて、ハタと思い当たった。
鮨種のほとんどがあらかじめ煮切り醤油とともに
混ぜ合わされていたのである。
ハハ〜ン、これだ、これですよ、
全体の味が練れて、濃くなりこそすれ、
それぞれが主張しない理由がここにあった。
当然、見た目の冴えも薄れてくる。
以前のばらちらしは光り輝いていたものだ。

 
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2008年1月28日(月)

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