「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第421回
そばを食うより 写真を撮りたい

鐘ヶ淵は昔、カネボウの前身の
鐘淵紡績があった町。
都内に住んでいる人でも
あまり訪れることのない墨田区のはずれにある。
よほど酔狂な散歩好きでもない限り、
足を踏み入れる場所ではない。

東向島という新しい駅名になじめず、
J.C.はいまだに玉の井と呼ぶのだが
浅草から東武伊勢崎線の電車に乗って
鐘ヶ淵の1つ手前が玉の井。
昭和10年代に永井荷風の「濹東綺譚」で
一躍有名になった寺島町界隈だ。
そう、あの「抜けられます」の一郭は
脂粉の香りが濃密な墨東のラビリンスだったのだ。

玉の井駅の北側の、いろは通りには
いまだにレトロな店々が軒を連ねている。
J.C.はこの通りを歩くのが好きで
鐘ヶ淵通りに突き当たったら
左折して、そのまま鐘ヶ淵駅方面に向かう。
ここで駅前の開かずの踏み切りに
イライラさせられるのは毎度のこと。
ところがついこの間、
踏み切りの脇に地下歩道があるのを発見。
今まで気付かなかった自分のうかつさに憮然となる。

踏み切りを渡り、進路を右手にとって歩くこと数分。
隅田川七福神の起点というか、終点というか、
とにかく七つの神様のうちの一つ、
毘沙門天・多聞寺にほど近いところに
1軒の古びたそば屋さんが現れる。
屋号を「坂むら」という。

近所に「生粉亭」というそばの佳店があって
遠方からも舌の肥えた客が到来し、
ひなびた町に一すじの光を与えている。
その点「坂むら」はまったくの無名、
そんなところが惹かれる理由かもしれない。

木造2階建ての外観には驚かないが
入店してみてびっくりした。
単にタイムスリップなどという言葉では表現したくない。
それではあまりにも浅薄にすぎる。
昭和30年代も戦前も、大正までも通り越して
古き良き明治の日本がここにあった。

店の奥から、ふいに正岡子規や石川啄木が
現れそうな気配すら感じられる。
これが森鷗外や夏目漱石だと場違いなのは
2人の文豪が「坂むら」の庶民性になじまないからだ。

1000円の鴨せいろを注文。
そばは下町にありがちな山盛りではなく、
ごくごく普通の分量。
つゆも甘め濃いめで標準的なもの。
数枚の鴨肉は多くも少なくもない。
そばの味を楽しむというよりは
この空間でそばを食べることに
意義を見出せる店だ。

遠路はるばる出掛けることを
そば好きの方におすすめはしないけれど、
四六時中、首からカメラをぶら下げている人には
絶対に満足していただける自信がある。
そんな希少なそば店である。

 
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2008年2月12日(火)

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