「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第425回
三島由紀夫の最後の晩餐 〜「文豪の味を食べる」より〜

今日と明日はJ.C.の新著のご紹介。
まず本日は「文豪の味を食べる」(マイコム新書)。
作家を始めとして、落語家・映画監督・芸能人など、
45人のそれぞれの心の深淵をのぞきながら
行きつけの店を追いかけ、
彼らの「食跡」をたどったものである。
その中から三島由紀夫の稿を抜粋して紹介したい。

 三島由紀夫本人を生身で目撃したことがただ一度だけある。
それもひょいと手を伸ばせば、
体に触れることのできる至近距離だった。
今から40年以上も前の1966年6月30日の夜のこと。
ところは九段の日本武道館。
そのとき催されていたのはビートルズの日本公演。
その初日であった。
 三島はなぜ国を憂いて決起し、
割腹による自決を遂げたのか?
けして解ける謎ではないが、真相に近づく作業はしてみたい。
そのために三島にまつわる
いくつかのキーワードを並べることから始める。
尊皇・憂国・英霊・蜂起・尚武・任侠・男色。
これらをすべてミキサーに掛け、
グラスに注いで泡立ちを眺めてみると、天皇陛下を崇め奉り、
国を憂うという大義名分のもと、
兵卒を喚起するために立ち上がり、
尚武によって鍛え上げた美しい肉体を、義憤を持って国に捧げ、
みずから英霊となって朽ち果てる、
こんな姿が浮かび上がってくる。
男色はオマケのようだが、実はこれが曲者だ。
理由はあとで述べよう。
三島の自決にはまずこのような下地があった。 
 決起前夜、世に有名な最後の晩餐の食卓を囲んだのは5人。
自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入するフルキャストが集結していた。
場所は新橋駅前の鳥料理屋「末げん」であった。
 明治42年創業の老舗を訪ねたのは小雨まじりの金曜の夜。
2人で出掛けたので座敷ではなく、
玄関右手の椅子席に案内された。ビールを注文すると、
お運びのお姐さんさんが酌をしてくれる。
これは菊正宗に移行したときも同様で、
最初の1杯はそうしてくれるようだ。
 そしてお待ちかねの鳥鍋。
この店では客の前ではなく、
部屋の片隅に置かれたカセットコンロで煮てゆく。
これでは鍋料理の醍醐味をまったく味わうことができないし、
風情のないことはなはだしい。
鍋の食材は、
鳥肉(もも肉・胸肉・砂肝・ハツ・レバー・つくね)に
合鴨ロースが1枚のみ。
これが三替わり供されるのだが、
あとは鳥ガラスープを足して炊いた雑炊に
香の物と水菓子でおしまい。
満足度から図って適正価格は4200円と、半額がせいぜいだ。
昼の親子丼が悪くないだけに夜の再訪はまずありえない。
 最後の夜の三島は出掛けに女将から
「またいらっしゃってください」と声を掛けられ、
「また来いと言われてもなぁ。
でもこんな美人がいるなら、あの世からやって来るか」
―こうささやいたという。
その後、あの世から三島がやってきたというハナシはついぞ聞かない。

いつも当コラムをご愛読いただいている
読者の方々10名様に抽選の上、
「文豪の味を食べる」を進呈いたします。
ふるってご応募ください。

それではまた明日!

【本日の店舗紹介】
「末げん」
http://r.gnavi.co.jp/g404300/

 
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2008年2月18日(月)

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