「一歩一歩、おいしさを探して」
J.C.オカザワの脚で綴ったダイアリー

第431回
再び火の粉が 降ってきた

先週の金曜日と昨日の月曜日、過去2回に渡り、
「身に降る火の粉は 払わにゃならぬ」と題して
友里征耶氏との競著「グルメバトル」に寄せられた
間違いのご指摘に対してお答えした。
「finalventの日記」というブログを
綴られている方からのご指摘だったが
この方を仮にEさんと呼ばせていただくことにする。

昨日の朝、過去2日間の当コラムをご覧になった
そのEさんよりお怒りとお叱りのメールをいただいた。
そのメールの内容を当コラムに
そのまま引用することの禁止と
Eさんへの直接の返信の拒否が明記されており、
Qさんコラムは毎日愛読しているので
この場で回答するように求められたのが事の成り行き。
払ったつもりの火の粉が、再び降ってきた次第だ。
急遽、原稿を差し替えて
今日もまた火の粉を払うこととなる。

まずはEさんご指摘の間違いを整理してみる。

(1) キャヴィア・セブルーガ(ロシア産にしんの卵)
(2) 孫にも衣装
(3) ヨーロッパうなぎの養殖
(4) フェルナン・ポワンに関する記述

以上の4点であった。
そのうち(1)と(2)はそれぞれブルーガと馬子にも衣装の
誤植であることは判っていただけたようだ。
やはりヴルーガは存じ上げないご様子だった。
ヨーロッパうなぎに関しても
昨日のメールでは触れられていないので
ご理解を得られたものと信じている。

問題はただ1つ、(4)のフェルナン・ポワンにあった。
Eさんは「グルメバトル」におけるJ.C.の記述のうち、
間違いは下記の青字部分であると、ご指摘なさっている。

小さなポワンを名乗ったワケだ。
今では死語となったヌーヴェル・キュイジーヌの
旗頭ともいわれるフェルナン・ポワン。

そしてこのように付け加えられている。

ヌーヴェル・キュイジーヌはもっと後の時代である。
貴殿やグラフ社担当者はともかく、
友里氏も早々に指摘していたようだ。
読者や友人の方は何も言わなかったのだろうか?
それを「身に降る火の粉は 払わにゃならぬ」とは
ちょっとお粗末であろう。
絶版・回収ものではなかろうか?

 (注:原文は敬語でした)

Eさんには申し訳ないが、これには言葉を失った。
フランス料理にそれなりの興味を持つ人の間では
ヌーヴェル・キュイジーヌが1970年代に
ポール・ボキューズたちによって提唱され、
ゴー・ミヨが名付けたことはもはや常識であろう。

J.C.は「グルメバトル」において
フェルナン・ポワンは大戦と大戦の間に
活躍した料理人と述べている。
そこには何と、半世紀ものギャップがあるのである。
それではなぜ、ポワンをヌーヴェルの旗頭と称したのか?
それはポール・ボキューズが
フェルナン・ポワンの弟子だったからにほかならない。
ヌーヴェルの「旗頭」で誤解を与えてしまったのなら
ヌーヴェルの「源泉」とでもすればよかったと、
今にして思う。確かに「旗頭」では誤解を招きかねない。

それにしてもJ.C.がヌーヴェル・キュイジーヌそのものを
基本的に理解していない人間だと思われていたとは!
心をすきま風が吹き抜けていったような感じ。
Eさん、誤解と誤植のたびに、書籍を絶版・回収していたら
出版社はツブレてしまいますよ。
殊にグラフ社のようにあんまり大きくない出版社はネ!

 
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2008年2月26日(火)

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